▼寄り道
乱獲がたたって、もう店先で見かけることも少なくなりました。もちろん道端の海綿売りなど、とうに姿を消しています。
下は博物館に展示されていた発掘物です。どこの遺跡でもライオンがよく登場します。古代ペルシャでも、エジプトでもライオンは遺跡のスターの一員です。
今、ライオンが住むのは東アフリカや南アフリカのサバンナに限られています。2000年前は、もっと広く生息していたのでしょうか。発掘品を見ながらつまらないことを考えました。
昔はアテネ市内に海綿売りがいました。店先だけでなく、道端にも出ていて、手頃で安いお土産のトップを占めていました。
ギリシャ人は国旗が大好きです。白とブルー。夏のエーゲ海を象徴するようです。遺跡の天辺にも立っています。アクロポリスの丘、パルテノン神殿の脇にも掲揚されていました。
すぐ下には劇場があります(写真・左下)。夏の夜に今でも演劇があり、チケットはたいがい売り切れです。定宿のオヤジは、どうやらいいコネクションを持っているようで、アテネのほか、エピダブロスにも連れて行ってくれました。
観客席は綺麗に修復されていますが、いりぐちのホールや楽屋などの建物は、昔の面影を残していました。
アテネ市内を走っていたときのことです。渋滞を増幅させる“元凶”を見つけました。なんだか大きなものが車の流れとともに、移動しているのです。
「あれは何だ!」と思わず声にしました。助手席にいたババも、しばらくは分かりませんでした。近づいてはっきりしました。船です。かなり大きな船をトレーラーで運んでいるのです。普通のレジャーボートを運ぶのは珍しくはありませんが、レジャー用ではありません。
真っ昼間、堂々の輸送です。日本でも闇に紛れるように新幹線の車両や、自衛隊の大型機器がトレーラーで運ばれることはありますが、東京のど真ん中を真っ昼間に移動することはありません。
おおらかなのでしょうか。それとも込んでもあまり文句も出ないのでしょうか。そう言えばオートバイの事故はアテネで滅法、多いようです。自動車の中古部品とバイクの販売をやっている知り合いに聞いたら「酷いときは週に27人も死んだことがある」と言っていました。アテネ市の話です。
今はそんなことはないでしょうが、ユーロ経済に切り替わり、モータリゼーションは一気に進みました。住宅建設もそうです。それにアテネ・オリンピックのバブルがあって、物も宿も安かったギリシャはどこかへ行ってしまいました。スペインも、ポルトガルも安さが魅力の1つでしたが、それもユーロ圏に組み込まれてお終いです。
そのためかどうか分かりませんが、90年代には高級ホテルの数は少なかったアテネ近郊のビーチに、とんでもなく高いホテルが出来ています。南西のスーニオン方面に20`ほど走ると、そういうホテルがあります。海辺までプールがあり、それに続くプライベート・ビーチです。
ギリシャの一般庶民は、こういうホテルに新婚旅行で泊まり、それを後々まで誇らしげに話します。ジジ・ババは仕事上、何度か泊まらざるを得ませんでしたが、桁違いのお金持ちと一緒にいるのは、どうも居心地の悪い物です。
戦士を描いたものです。兜はトサカのような飾りがついています。盾と槍で武装です。
▼寄り道
左は市内にある別の劇場跡です。上は98年のパルテノン神殿です。
下は神殿から見るピレウス方面。右下に劇場が見えます。
どこの国でも同じですが、一昔前はのんびりしていました。ベトナム戦争などはありましたが、アラブ世界は落ち着いていて、今、問題になっているテロの脅威などはありませんでした。ベトナム上空を旅客機が飛びますが、下の方を飛ぶ戦闘機や砲火を見たことがあります。
ギリシャの遺跡や博物館も今のような厳重な警備などなく、遺跡も立ち入り禁止の場所は簡単にロープを張っただけで、そのロープも垂れ下がったり、支柱が引っ繰り返っていたりでした。今でもネメアの遺跡は、石柱の立っている神殿の中心部をスタスタ歩いてもいいのです。
それでも悪さをする人もなく、自由な雰囲気で見物が出来ました。博物館も写真撮影の禁止などしていませんでした。今でもギリシャは地方の博物館などでは、喜んで写真を撮らせてくれます。観光客が増えているので、それもいつまで続くか分かりません。
アテネの博物館でも結構、写真は撮りました。どうぞ写してください、というのではありませんが、観光客が数枚撮るのは黙認というところでしょう。壁に彫られたものは、どこでも強烈です。人や馬がライオンに食われたり、傷ついた兵士を踏みつけての戦いなども見かけます。人はこうやって戦い、生き抜いてきたという証でしょう。
アテネはオリンピックを境に大きく変わりました。街全体の化粧直しです。特にギリシャ観光最大の目玉となっているアクロポリス、パルテノン神殿は2002年から大修復が行われました。ここでは大修復前の写真を扱います。囲いも適当で、その分、親しみも感じました。
地中海世界に君臨したアテネは紀元前800年頃にポリスとして誕生したようです。スパルタと戦い、遠くペルシャから遠征してきたダリオス大王、その息子、クセルクセス大王の軍を撃退してアテネを中心とするギリシャは地中海世界に覇を唱えました。その後、アテネ主導に反発したスパルタなどペロポネソス同盟とは30年戦争となり、ペルシャがペロポネソスへ援軍を送ったため、アテネはついに降伏したのです。
ギリシャ栄光の時代はここで終焉を迎えます。ギリシャ北方、マケドニアが台頭し、有名なアレクサンドロス大王の登場で、時代は移っていきます。アテネが、ギリシャが“飲み込まれ”てしまったのは、アレクサンドロスが20歳で王位に就いた紀元前336年前後ということになります。ギリシャは歴史の主役から消えていきました。