ミケーネ。  ギリシャ最古の文明

 急な山にポリスが作られるのは珍しいことではありません。むしろ丘の上や山の中腹の方が多いように思います。ポリス間の小競り合いや戦争も多かった時代ですから、防御を固める必要もあったようです。

 上の写真は少し離れた場所にある遺跡です。なんだかエジプトの遺跡を連想させる作り方です。中は広いホールで真っ暗です。



 ミケーネはエーゲ海のクレタ島とほぼ同じ時期に生まれたギリシャ最古の文明の地です。ペロポネソス半島北東部の港、アルゴスにも近く、海のハイウェーを使って、古代の文化交流も盛んだったといわれます。

  遺跡はライオン門(写真上)とそこを入ってすぐ右にある王家の墓が有名です。門への石垣や石畳は、とても立派です。しかし、門を入ってしまうと、石垣の石は急に小さくなります。

 山を登るにつれて、遺跡はガラガラの石だらけになります。

 

 ミケーネにはシュリーマンが発見した古い遺跡のほかに、もうひとつの遺跡があります。時代はかなり下ると思いますが、オスロを古い遺跡へ向かって上っていき、右上に遺跡のある山が見えてくると、そのあたりの左にあります。

 崖がすっぱりと切られ、石積みがあります。入り口は長方形の上に、三角の切り妻みたいな切り込みがあります。中へ入ってみました。天井はずっと上にあります。懐中電灯の光ではぼんやりとしか見えません。

 部屋が2つに分かれています。入ったところは広いロビーのようですが、向かって右側に、少し小さい部屋があります。観光客がどやどやと入ってきて賑やかになったので、中から外の写真を撮って出てきました。

 今度ゆっくりどんな目的で作られたものか調べてみようかと思っています。入り口の長方形と、上の三角は別の作りで、区切られているのが中から見ると分かります。上に三角の光があります。

 なんだかエジプトの遺跡みたいな感じでした。
 

上2枚の写真は遺跡の裏門近くにある井戸です。もぐってみると外は圧倒的な光でした。

 ミケーネといえば国際的な遺跡です。しかし、遺跡は発掘されるまで単なる瓦礫の山や、農地になっていたり、酷いところでは住宅密集地になっています。何もギリシャだけのことではありません。

 90年代に行ったときにはミケーネ遺跡の裏側で山羊が飼われていました。裏側は訪れる人も少なく、草が生えています。石は沢山あるし囲いを作るのに重宝です。

 一昨年(05年)に行ったときに、山羊には気づきませんでしたから、遺跡内の放牧は禁止されたのかも知れません。昔からの放牧者にとっては自分の土地を取られたような気がするでしょう。

 上が王家の墓です。黄金のマスクはここから発掘されました。遺跡は年々、整備されて来ています。

▼寄り道

 井戸の中にも入りました。懐中電灯は持っていたのですが、外の太陽が強烈なので、しばらくは役にたちません。ティリンスの城にあったトンネルと同じように、上の尖ったアーチ型に石が積まれています。ミケーネの方がずっと古い遺跡ですから、きっとティリンスは真似をしたのでしょう。

 今はきっと井戸に入ってみることは出来ないと思います。ちょっとスリルもあって面白いのですが、のんびりしていたギリシャの遺跡も、観光客がどんどん増えてきて、有名どころは制限が厳しくなっています。これも遺跡の維持には仕方がないことでしょう。


 ライオン門へ向かって左、石垣の上から見た2頭のライオンです。頭の部分がどのようになっていたかは、ジジ・ババには分かりません。少しだけですが読んだ本の中に、頭の詳細に触れたものはありませんでした。

 5回ほど行ってみたのですが、初めての時は、なんと酷いがらくたの山か−、と思ったものです。門の所だけは立派でしたが、ごく一部を除くと大きな石垣もないし、小さな積み石が山一杯に転がっている印象でした。もっとも、90年代の始め頃までは、車で走り回ることが先で、遺跡を観るのは“ついで”だったのです。

 今考えてみるともったいないと思いますが、世界のあちこちを走りまくってきたので、いい歳になっても運転が苦にならないのでしょう。おかげで今でも苦にならずに車の旅を続けられるというわけです。

 英国人のシューリマンがギリシャ神話を元に、探し回った末、ミケーネの存在を明らかにしました。門を入ってすぐの右側に、黄金のマスクをつけた王の墓を見つけ出す成果を上げました。

 


 門を入ってからはすぐに坂道です。石畳は間もなく消え、ガラガラの石だらけの斜面を上ります。王の居住した頂上あたりからの展望はさすがです。一方は切り立った崖です。

 面白いのは裏側です。正門に比べるとだいぶ見劣りはしますが、大きな石で固めています。斜めに石段がある深い井戸もあります。以前、入ってみたときには水がありました。05年に行ったときには立ち入り出来ませんでした。斜面の北側には石垣が積まれ正門の横に回り込む道があります。このあたりは山羊が入り込んで遺跡を独占していました。

 遺跡の成り立ちや発掘されたものなどは、沢山の資料があるので、ジジ・ババはそれにはあまり触れません。楽しみの旅なので、堅くは考えていないのです。