アテネからネメアには高速道路で行きました。コリントスから30`ほどのインターを降り北へ向かうとすぐにネメアです。ワインロードの標識があり、何となく楽しくなります。酒は強くはないのですが、飲み始めると果てしもなく飲むので、宿を決めてから歩いて町へ出ます。
ヨーロッパでは飲酒運転の取り締まりは緩やかでしたが、2000年頃から厳しさが増し、今は「飲んだら飲むな」になっています。ジジがパリに住んでいた頃は、日本でいくらか飲酒運転ががうるさくなった頃ですから、フランスでは「飲んでも乗れる」でした。
食生活と長い伝統が背後にあり、食事とワインは切り離せない関係にあったからだと思います。ただ、事故を起こして保険請求しても、飲酒運転だと保険金が支払われないような事例も出て、当時としては“騒動”があったのを記憶しています。
今は駄目です。世界中で飲酒運転は厳罰です。ネメアにはワイナリーが幾つもあります。ブドウの収穫シーズンにも行ってみましたが、ブドウ農家のオッサンが、トラクターの後ろに大きな貨物車を連結し、ブドウを満載して来ます。
とても甘いブドウです。宿から歩きですからワイナリーでは試飲を十分にさせてもらいました。ボトルの栓を抜き「こっちはどうだ」「これは旨いぞ」と勧めます。これはいい、と思ったものを「2ダース日本へ送ってくれ」と言ったら、断られました。
輸送量は払うよ」と言ってもも駄目です。理由は簡単で洒落たものでした。
「樽じゃないと送れないよ」
「どうして?」
「船員が簡単な箱だと飲んじゃうよ。日本へ着く頃にはなくなってる」
上手な断り方です。要は2ダースを送るのが面倒なのです。送るなら樽です。笑いでお終いになりました。その代わりフラつくほど試飲をさせてもらいました。
こういう時には、バッカス伝説など、どうでもいいのです。酒の神がいようがいまいが、涼しい風の吹き始めたブドウ畑の中を、バッカスもかくや−、といい気分で宿へと歩きました。
ネメアの博物館に保存されている発掘品(左下)です。今も田舎町の祭りでは、前に並んだ人形のような格好をして踊るのを観たことがあります。古代の伝統がそのままという訳ではないでしょうが、風土から来る民族衣装は似たものになるのでしょう。
▼寄り道
ネメアは素晴らしい遺跡です。どこでも発掘が進むと、ジジ・ババにはそう見えます。多少スケールは異なっても、建て売り団地のように、あるべきものは揃っています。
必ずあるのが神殿で、競技場も劇場も揃っているのです。今の日本の田舎町と人口などは同じくらいのスケールでしょうが、古代ギリシャ人の方がスポーツ、文化が揃っていたようです。
インターネットや電話がなくても、車などが走ることもなく、静まりかえった夜には、ちょっと声を高めれば、ポリス中に物事を伝達できたでしょう。ネメアの神殿がある所には、お墓もあります。ガラスケースに入った古代人の本物の骨が、頭から足の先まで揃って、展示されています。それもお墓のあるところ、戸外です。
共同浴場もネメアにはあります。そんなに大きいものではありませんが、スケールとしては50bプールくらいはありました。排水、加熱のための配湯設備など、地下に作られていてなかなかのものです。
浴場の一部です。湯船も浅いものから深いものまで作られていたようです。
▼遺跡で
ブドウの産地でディオニソス(バッカス)の伝説も残る所です。大きな遺跡には立派な競技場もあります。ワイナリーではおいしいワインを量り売りもしています。
上は競技場の全景です。周囲には観客席と観客が座る斜面があります。中央は競技場へのトンネル。下はスタートラインです。
選手たちが引きあげるトンネルです。
黄色の文字は観光系統です。ブルーは普通の標識です。