ナフプリオの遺跡
ナフプリオ

ナフプリオは背後に大きな中世の城があります。街から見上げると城壁が威圧します。
街は裏へ入り込むと静かでお洒落です。田舎町ですが、昔からの港なので、いろいろと新しい情報が集まったのでしょう。アテネの裏町よりずっと狭いですが、雰囲気はいいです。

▼寄り道

 ナフプリオはそれほど知られた街ではありません。しかし、アルゴスはキプロス島への植民などで古代は大いに栄えた街です。
 ミケーネにもそう遠くはありません。海のハイウエーを使ってエーゲ海、さらにはトルコ西海岸まで移動していた人たちですから、この街やティリンスの住人は、きっと旅することが多かったでしょう。
 少し南西に行き、横にそれるととてもいい海があります。Toloです。いつもの通り「行ってみるか」で見つけ、エギナとともに大好きな場所です。

 ペロポネソス半島の北東部、アルゴリコス湾の奥にナフプリオの町があります。中世の城が背後の山上に築かれ、遠くから見ると城まで行ってみたい衝動に駆られます。

 街にはゆったりとした港があり、500bほど沖の小島には、頑強な砦があります。中世にこのあたりを支配するには、まず海の防御でしょう。レストランへ寄ったり、古く狭い路地の土産物屋を見て回るのは面白いですが、遺跡となると4`ほど離れたティリンスになります。

 アルゴスからナフプリオに通ずる国道のすぐ側にあり、1990年代の終わり頃に通ったときは、ただ石垣が重なったようなものでした。
 「寄ってみるか」といつものデンで轍をたどると、それでもゲートがあり、なにがしか

 魚介類は豊富です。夕方になると店先のガラスケースなどに、新鮮な魚が並べられます。メニューと照らし合わせ、ゆっくりと選ぶのがいいようです。
 裏町にはレストランが沢山あるので楽しみながら品定めです。

ナフプリオの街です。アルゴスから直線道路を走り、街に入って突き当たりでナフプリオの旧市街とエピダブロス方面に分かれる変形交差点があります。
 見上げると山の上に城壁が連なっています。ナフプリオの城です。写真に向かって左側に500メートルほど行くと、城へ上る道があります。車で城門のすぐ側まで行けます。


 ナフプリオの背後にあるお城からはアルゴス湾が綺麗に見えます。、

 さりげなく路地裏を覗き見です。ブーゲンビリアが路地に散っていました。熱い熱い太陽を避けるため、木を植えたりツタを絡ませています。
 表の喧噪が嘘のように静かです。

港の近くは賑やかで、レストランが並んでいます。すぐ後ろの通りは、狭くなっていて、土産物屋、レストランなどがあります。さらにもう少し城側に入ると、昔ながらの住宅が並びます。ギリシャの街としては綺麗です。
 街の大通りはがさつなので、もし訪れるなら、城とティリンスを見た後、港近くとその裏側へ行ってみるのががいいと思います。

 ティリンスの遺跡で発掘されているのはごく一部です。ギリシャの遺跡に付きものの、劇場や運動場が見当たりません。大きな石を積み重ねた、堂々とした入り口があり、神殿跡と思える場所へ行くのには、さらに門があり、石垣に沿って道があります。かなり厳重ですが、平地の小さな丘にあるので、きっとこうするしかなかったのでしょう。

 大昔はもっと近くまで海が来ていたと思われます。アルゴスまで15`ほどしか離れていませんから、兄弟ポリスみたいに仲が良く、もしかしたら劇場や運動場などは、アルゴスにあるものを兼用し、歩いていったのかも知れません。


のお金を払いました。その後何度か行くたびに、遺跡は発掘が進み、国道沿いに案内表示も出て、道も舗装されました。

 左の写真は90年代のものです。今(07年)は柵が作られ、入ることは出来ませんが、02年頃までは突き当たりまで行き、そこから右下に降りて一回り歩けました(右下)。その頃から夏になるとドイツの大学生が教授に率いられて発掘調査をしていました。

 素人のジジ・ババが側に行くと、いろいろと説明してくれましたが、分かるはずもありません。フンフンと頷いてはいても、発掘品やそれがあったところをよく見たいためのポーズみたいなものです。それでも発掘の大変さや、何かを見つけたときの喜びは、しっかりと伝わってきます。

 ギリシャには呆れるほどの遺跡があります。日本は明らかに見返りもないと思える援助要請の国に“いい顔をするため”ばらまき援助や借款を役所や政治家のメンツなどで出しています。そのうちのごく一部でもギリシャの学術調査に注ぎ込めば、日本が発掘した立派な遺跡が、末永く残ると思うのです。学者・学生も頑張るでしょう。

 有力者の懐に殆どが入ってしまう援助など、空しいものだと思います。