コルシカ島はナポレオン誕生の1年前、1868年までジェノバ(現・イタリア)の支配下でした。、ジェノバはコルシカの独立戦争に嫌気がさし、フランスに島を売却しました。そこに住む住民は否応なく、フランス人になったわけです。8人兄弟の2番目に生まれたのですが、1年早かったらジェノバ(イタリア)国籍での誕生だったことになります。
父親はアジャクシオの判事で、そう豊かではなかったようです。兄とともにパリに渡り、1984年には陸軍士官学校に入学。普通は4年ほど在籍するところを11か月で卒業したというので、頭は冴えていたわけです。目覚ましい才覚で軍人として頂点へ駆け上り、フランス皇帝にまで出世したのはよく知られています。
1804年から1814年まで皇帝として君臨。失脚しエルバ島へ幽閉されましたが、1815年島を脱出。前回紹介したナポレオン街道を北上し、再びパリに凱旋しました。人気は間もなく失われ、今度は脱出不可能な大西洋のセントヘレナ島へと流されました。有名な100日天下はこのときです。
アジャクシオの南、ポルティチオの街はお洒落なところです。高級ホテルがいくつかあり、アジャクシオが開けてきたため、静かさや贅沢を求めて、フランスのお金持ちがやって来ます。
コルシカは日本人にはあまり馴染みがありませんが、急峻な岩山と綺麗な水が人気です。島全体がリゾートの雰囲気です。
サンテクジュペリは「南方郵便機」「夜間飛行」「人間の土地」「星の王子様」などを書き、いまだに多くのファンがいます。自らもパイロットとして活躍し、サハラ砂漠上空を飛んだ体験などが、作品の底に流れています。
第二次大戦ではフランス軍のパイロットとして、偵察飛行を行っていました。最後に配属されたのは、コルシカ・バスティアの基地です。1944年にフランスに進駐しているドイツ軍の偵察に、バスティアの基地を飛び立ちましたが、そのまま帰ってきませんでした。本来なら数週間前に除隊することになっていましたが、そうならなかったのはなにかの手違いだったのでしょう。
ドイツ空軍の迎撃で撃墜されたと推測され、長くその場所などは分かっていませんでしたが、2004年3月にマルセイユ沖で引き揚げられた空軍機が、サンテックの乗っていたものと判明しました。確証となったのはエンジンナンバーの「2734」でした。
ビクトル・ユーゴが1803年から2年間住んだ別荘が正面の建物です。バスティアの高台にある旧市街を取り囲むように壁が巡らされています。
急な坂道を上り、大砲などのある頑丈な壁に沿い、ゲートをくぐると広場で、その正面にある建物=写真=がユーゴの別荘です。「レミゼラブル」で知られる大作家です。
旧50フラン札。
サンテックの顔(左=表)、星の王子様や飛行機の絵(裏)が印刷されている。世界の人々に愛される小説を書いた作家はフランスの誇りでもあるのでしょう。
裏面には可愛らしい星の王子様の挿絵がありました。
お洒落な街には旨いものもあります。コルシカは急峻な山が多く、岩も多いですが中腹からは木が繁っています。川から流れ込む水に様々なエサが混じっているのでしょう。魚は地中海としては上々です。
左の写真は「デント」という名です。歯が厳ついため歯魚とでも言うのでしょうか。日本で希少価値のある深海の「クエ」に似ています。白身でとてもいい味でした。
ラリーの世界選手権に出かけたときに、友人と出かけたレストランで、たまには大盤振る舞いということで、デントを鱈腹食べたのです。結構な値段でしたが、時には旨いものを食べないと、何となくいじけてしまいます。
ボナファシオ
アジャクシオから今度は南端のボニファシオに向かいました。途中のサルティネの街と老人です。
コルシカでは白いバンダナを巻いた青年の顔があちこちにあります。コルシカ独立運動の象徴となっていて、ホテル、道路脇、空港などでも見かけます。
バスティアの港
▼寄り道
バスティアとサンテクジュペリ
▼寄り道
ナポレオン像と生誕、死去を印すモニュメント。歴史上の大人物ですが、長い緩やかな坂道と広い公園に記念碑はありますが、ひっそりとし土産物屋一軒だけでした。
コルシカの首都(フランスの州都)アジャクシオの港。豪華フェリーと漁船が同居
アジャクシオからバスティアまではコルシカ中西部海岸から山岳地帯を斜めに横切って行きます。途中には18世紀にフランスからの独立戦争の本拠となったコルテがあります。
今はコルシカ唯一の大学がこの町にあり、城壁や防備を固めた城跡にも学生たちの姿が見えました。
▼寄り道
ナポレオンの生家(右)で、今は保存されて博物館となっています。3階のマンションは意外と質素な生活が伺われます。観光客はやって来ますが、探すのに苦労する場所でした。地元のガイドブックに生誕した家は載っていません。左は生家と路地を隔てて少年時代の胸像。上は騎馬姿のナポレオン。
白い岩壁を近くで見ると幻想的です。別世界の感じです。コルシカの旅は珍しくも楽しいものでした。
南端の岬=左下=からサルディニアまでは約20キロです。連絡船が通っています。
バスティア新空港に立っているサンテックの記念碑。右はフランス空挺隊の宿舎。古いものでサンテックもここに起居したとしても不思議はありません。下はサンテクジュペリ飛行学校と滑走路の練習機。
アジャクシオの旧市街は入り組んでいます。リゾートの島になっていますが、昔ながらの雰囲気があります。
ボニファシオの街は白い断崖の上にあります。旧市街は狭い道路が5,6階建ての家の間を走り、車は1台がやっと。アーチはぎりぎりの幅でした。
史実と伝説の入り交じったもののようですが、本当のところは分かりません。ナポレオンの肖像などは、アジャクシオにあり、見事な公園になっています。像も少年時の騎馬姿や皇帝になってからのものなどがありますが、生家の場所を尋ねても、街の人が知らなかったり、はっきりと道標がなかったり、どうも人気はないようです。左はコルテの城跡です。