50)ダカール・ラリー,悲喜こもごも
◇寂しくも懐かしいジジのお仲間たち。
07年ダカール・ラリーには懐かしい名前が見えます。ジジがサハラを走るドライバーたちを、車で追っていた時代からの知り合いたちです。ワークスチームに所属し、華々しく脚光を浴びたドライバーが、プライベートで出走し、トップ争いから遠く離れた位置で苦闘しているのは、本人が好きとは言え、なにかもの悲しい気もします。
日本人ドライバーで最下位の篠塚建次郎(ニッサン)は、かつて「三菱ワークスで最もいい車に乗る男」と言われ、日本人初の優勝者にもなりました。ジジは20回も篠塚さんの砂漠の姿を見ています。ババもチュニジアやモロッコで篠塚さんを追って、ジジと砂漠を車で走り回りました。
パリダカで一度勝った後は、勝ちに恵まれず近年はリタイヤ続き。ニッサンへ移籍したがワークスは2年で解散してしまい、翌年はニッサンディーラーのドスード(フランス)で走りましたがリタイヤでした。何とか出走しようと、昨年はイタリアのディーラーから車を出してもらい「これがラストラン」と言っていました。しかし、好きなのでしょう、それを撤回する形で今回も出走したのです。
ついてない、というべきでしょう。第1ステージのトラブルで大きく遅れ5時間のタイムペナルティー。フェリーには乗れましたがモロッコでの第4ステージを終わって102位です。本当のオールドファンは分かるかも知れません。速かった時代に篠塚さんは“ライトニング健次郎”のニックネームがありました。それはとうの昔語りです。
パリダカ最多優勝のアリ・バタネン(フィンランド)はフォルクスワーゲン・ワークスの「最も安定したドライバー」と期待されて走りましたが、第2ステージの川渡りで速度を出しすぎてエンジンが水を吸い込み、大きく遅れて5時間のペナルティーをくってしまいました。
「ラリーはモロッコからが本格的に始まる。それまでは確実にSSをこなすのがつとめ」と言っていた本人がお粗末をしでかし、ヨーロッパ・ラウンドで大きく後退です。当てにしていたクリス・ニッセン監督は「アリのドライブミス」と決めつけていました。
フィアットで走っているブルノ・サビー(フランス)も三菱ワークスでパリダカ優勝の実績があります。三菱を離れた後にフォルクスワーゲン入りしていましたが、今回は解雇され、個人出場で145位を走っています。
1988年ランチアに乗ってWRCのチャンピオンとなった、ミキ・ビアシオン(イタリア)は、トラック、三菱ワークスなどで走ったが芽が出ず、今回はフィアットで出走。146位に甘んじています。一世風靡のランチャのエースも、すっかり速さを失いました。
“砂漠の女帝”ユタ・クラインシュミット(ドイツ)はフォルクスワーゲンを離れ、BMWに乗っていますが、スペインで出火。9日にはモロッコでクラッチが壊れ遅れています(25位)。トップを競った数年前の勢いは消えています。
「砂漠のラリーは一度味わったらやめられない魅力がある。サハラの夜の静寂さは自分を見つめ直させてくれる」と、かつてフェラーリF1優勝、ル・マン24時間も制したジャッキー・イクス(ベルギー)は、順位を気にしないプライベート参戦でパリダカを楽しんでいました。懐かしい“昔の名前”のドライバーが、功成り名を遂げたイクスのような心境かどうか…。
WRCで三菱、ヒュンダイに乗ったフレディ・ロイックス(ベルギー)は、WRCを諦めバギーに乗って走っています。17位(SS4)は立派な成績です。それぞれの思惑、喜び、悲しみとともに、世界一過酷と言われるダカール・ラリーは砂漠を移動し続けています。
49)マーニュさんの葬儀に日本人ドライバーはいなかった
モータースポーツでも登山でも海のレジャーにしても、事故は「まさかこんなところで」とか「死亡するような状況ではない」などのケースが意外と多いのです。昔、ジジが登山をしていた頃、山を下っていて単純に転んだ、と思った人が、大腿骨を骨折していました。
2007年パリダカにポイントを当て、ラリー・オブ・モロッコに出走したマーニュさんの事故死も、ジジが入手した情報を総合すると“まさか”の状況です。ナニ・ロマさんの運転するパジェロ・エボリューションは「運転席側の左が壊れていたが、そんなに酷いクラッシュではなかった」と聞きました。アンリは右側に乗っています。本来ならドライバーの方が危ないクラッシュだったのです。
現場はオアシスの集落を過ぎた所でした。砂漠のうねりで上りとなり、すぐに下る―、大きなコブのようなクレストがありました。ロマさんはクレストでジャンプし、着地した段階で前方にコンクリート壁のあるのを見たはずです。
「約50㍍ほどフルブレーキでタイヤがロックした跡があった。サスペンションは伸びきっていたので、グリップが得られなかった。さらに路面は細かい石が一面にあって、滑りやすかった」
「コンクリート壁に当たった時の速度は時速約85㌔ほど。アンリは次のルートを読んでいて、前を見ていなかったかも知れない」
「顔面から激しい出血だった。シートベルトが緩かった可能性もある」
砂漠を走るリスクは十分承知のアンリに、魔が差したのでしょうか。ゆるめのシートベルトが、クラッシュ時にどれほど危険かをアンリが承知しているのは当然です。人の肋骨は時速25キロの衝撃をまともに受けると折れます。時速85㌔が、一瞬にして時速ゼロになる衝撃で、顔面をぶつけたら、ひとたまりもないのです。
死因はまだ発表されていませんが、以上のような状況から、おおよその推測はつきます。アンリのシートベルトが緩かったなどとは普通、考えられないけれど、そんなことは有り得ない、とは誰も言えないのです。事故とはそういうものなのだと思います。
新鋭のロマさんは今年パリダカ3位。2007年は大きな野望を持っていたと思います。アンリと共にそれに突き進んでいるとき、リード役のアンリを失いました。
アンリのサポートでパリダカ優勝した篠塚建次郎さん、僚友の増岡浩さんは、葬儀に参列しませんでした。事情はあるでしょうが、日本の三菱自動車のワークス・チームで、パリダカを共に戦った日本人ドライバーが、1人もアンリを送る葬儀に参列しなかったことを、ジジはとても寂しく思います。
名ナビゲータ、アンリの冥福を祈ります。
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