シディ、ベルゲなど
まさにギリシャ世界

ペルゲの遺跡です。
アンタルヤの東20キロほどのところです。ローマ時代に全盛を迎えていますが、ギリシャ人が作ったのか、ドーリア人が作ったのか、街の起源はよく分かっていないようです。
 写真は浴場跡から見る街の門です。

城門をくぐると、石柱の並ぶ道です。左側には修復中の大劇場跡です。

シディの海岸に残るアポロン神殿の跡です。

アンタルヤから東に走るとすぐにシディの遺跡で、古代の城門は今も町への門です。2000年以上も前の町が、今に生きているということでしょう。寄り集まり編み物をする女性。気さくなオバサンたちでした(上)。

 南部のアンタルヤはここ10年ほどの間にめざましい発展を遂げています。北欧、ドイツ、イギリスなどからの観光客が激増。リゾートホテルも海岸に沿って作られています。昔旅したときの記憶は、全く役に立たないけれど、街を離れると、昔ながらの自然があります。

▼寄り道

 紀元2世紀に作られたという劇場があります。多くの劇場遺跡は観客席に正対する楽屋などの建造物が殆ど残っていません。ギリシャにもローマにもありません。その点で、トルコ・アスペンドスの劇場は建物の全容が分かる貴重な遺跡だそうです。訪れる人は少なく、のんびりと見物することが出来ました。


水の神を祭った神殿から見る水路と街の中心部。城門。

手前は歩道。その先を馬車などが通る道です。
 上は街の内部から見た遺跡。

競技場跡

水の神を祭った神殿から水路が延びています。


 遺跡として人気のある町ではありませんが、街が遺跡と同居しているのには驚きました。城門をくぐり石柱の並ぶ道を進むと、幅広い道が商店街で行き止まりになります。
 狭い道の両側には土産物、レストラン、カフェーなどが、遺跡の壁をそのまま利用しています。「こんなこと良く許されるな」と思いましたが、長い間、住み着いてきたので、どうすることも出来ないのが真相でしょう。
 神殿遺跡(左上)のすぐ横では、古代の大きな建物そのままで、バーを開業していました。崩れかけた「世界最古のバー」と言うことで、一杯飲ませてもらいました。
 大劇場は世界最古の水洗トイレが作られていたそうです。パリやマドリードなどは、つい近世まで、排泄物は壺に、その壺の中身は道路にぶち撒いたそうです。ハイヒールは糞尿で足を汚さないため。パラソルは頭から糞尿をかぶらないために、着飾った女たちの、生活の知恵だった、と言う話もあります。

シディの遺跡

リゾートの街、アンタルヤ

 ユーラシアとアジア両大陸にまたがるトルコは、中央部に人類初の鉄器を製造したとされるヒッタイト族の遺跡がありますが、地中海沿岸はギリシャ・ローマ世界の延長線上にあったのです。
 70年代の初めに旅したとき、膨大な遺跡は殆ど放置されたままでした。古代の美術品や芸術作品のめぼしいものは、イギリス、ドイツ、フランスなどへ持ち去られ、石柱の転がる遺跡には、山羊や羊が放たれていました。→

→30年あまり経って再び南東部から、ときどき内陸の遺跡を訪ねながら、ほぼ海岸に沿いに半島を巡り、イスタンブールへと車を走らせると、現れる遺跡は当時のトルコがギリシャ・ローマ世界そのものだったことがよく分かりました。
 観光資源を重視するトルコ政府は、古代遺跡で発掘されたもの、一切の国外持ち出しを禁止しています。発掘を待つ遺跡は多く、とても興味深い地域です。地中海でつながる海の道は、トルコにギリシャ・ローマを作り上げていたのでした。


アスペンドス

ベルゲ

 左の写真はアンタルヤから北西に50`ほどの山岳地帯。羊を飼う老人が、棒1本だけ持って厳しい寒さのなかにいました。
 上の写真は切り立った断崖に沿って建つホテル群。観光開発は急ピッチ。