クレタ島

 クレタ島は紀元前3000年頃にエジプトやメソポタミアの影響を受けて、文明が興ったと言われています。紀元前1600年ほど前には、大型の船を建造し、交易で栄えたようです。
 ここに掲載するのは90年代に旅したときの写真で、その後、発掘はさらに進んでいるし、遺跡の復元も続いているので、様子の違うところもあると思います。
 古代交易で栄えた島は、今、その遺跡をウリにした観光で栄えています。まさに古代の遺産です。エーゲ海の島では“稼ぎ頭”にはいるでしょう。

 海綿はギリシャ名物でした。90年代まではアテネでも、どこの島でも沢山売っていましたが、今世紀に入って急激に減り、もう左の写真のような売り方は見かけません。
 古いほこりをかぶった袋に入り、結構高い値段で売っているのも時に見かけますが、あらかた取り尽くしてしまったようです。
 化粧品店などで小さなものを売っていますが、店先にあるものは、使うとすぐにボロボロになってしまう古いものばかりです。
 溢れるほどあった海綿が姿を消したのは、自然環境の変化より、欲深な人間の仕業でしょう。

 クノッソス宮殿、女王の間のイルカの絵は観光客に人気。

 エーゲ海の旅はやはり船がいいと思います。時間に余裕さえあれば、夏の間は殆ど晴天が保障されているので、飛行機で飛び回るより幾つもの島に寄港しながら移動する船が好きです。
クレタではレンタカーを借りて走りました。結構大きな島なので、レンタカーでの移動が気ままでいいのです。

 上のドルフィンはこの部屋(下)の絵を拡大したものです。楽しそうに海を泳ぐ“神の使い”たちです。豊かな海を描いています。女性の絵(左)もピカソを連想させるものがあり見事です。

 ギリシャ遺跡となると、殆どが石です。木材を使った宮殿は見て回った限り、クレタだけでした。石と木材を上手に組み合わせ、居心地のいい場所にしていたように思います。
 日本の古い寺院などの建築物や仏像は多くが木製です。しかし、ギリシャでも船を作るのはもともと木です。エーゲ海に木工の文化がなかったという訳ではないのです。今でもかなり大きな木造船が造られていました。スペッツェス島のオールドポートを回り込んだあたりには、いくつかの木造船の造船所があり、職人たちがいました。
 きっとクレタにも大勢の船大工がいたのでしょうが、今は木造船を造るところは見当たりません。ヨットや漁船には日本製のエンジンが目立ちます。

 クレタの深い入り江の中は格好の遊び場です。明るい空、コバルトブルーの海は、遺跡見物で疲れた体を生き生きとさせてくれました。
 一泳ぎし、海辺のレストランのビールは格別です。ワインもあります。

 強い地中海の夏の太陽に照らされながら、遺跡を見ました。同じギリシャの遺跡でも、この島の王宮はちょっとほかのポリスとは異なっているような印象を受けました。
 赤く塗られた木の柱などは、石像や石柱の目立つギリシャの遺跡では、異彩を放っているようでした。

 

 クノッソス宮殿跡はクレタ島でもっとも知られる遺跡です。怪獣・ミノタウロスを閉じこめるため、1度入ったら出られない迷路を、ミノス王が造らせたとギリシャ神話が伝えています。
 “迷宮”と呼ばれるのが一般的ですが、現地で買った迷宮の図でも、分かりにくい設計だったことが分かります。
 部屋の数は1200もあったとされます。古代人の信仰の深さを思わせるように、王宮は全体として神殿と結びついています。イラクリオンの考古学博物館には、いろいろな装飾品や壁画が保存されていました。

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