エギナ島はアルゴサロニコス諸島、最大の島です。ギリシャ本土とペロポネソス半島東部のアゴラ湾入り口にあるスペッツェス島まで、幾つもの小島が点在します。
波は穏やかで、島が小さいので風向きによって、遊ぶ海を北にするか、南にするかなどが選べます。ジジ・ババは車の走行を禁じているイドラ島以外は、スクーターを借りて2人乗りで移動します。エギナで借りれば、他の島へも気軽に運んでいけるので、重宝です。
イリデスという小さなホテルの窓からの海です。8月から9月にかけては、毎日が晴天です。7月の半ばを過ぎると天気が安定するのです。
この海で潜って魚を見たり、ウニを採ったり、時には釣りもします。宿の前から岩礁へ板の通路があります。そこから先は20bくらい沖までは、何とか足がつくのですが、そこから先はどんどん深くなります。左の写真で小さく見えるのはジジです。
港の側にはレストランがあり、顔なじみのシェフ(と言うには泥臭いが)がいます。日本人はエギナの港に寄港するクルーズ船に乗ってくる人の他、滞在客は出会ったことがありません。
宿のイリデスでは7年前に初めて泊まったときに、オヤジがアテネで日の丸を探してきて、掲げました。日本人がスーバラに泊まるのは初めてだと言っていました。
エギナの町外れにある遺跡です。山の上には立派な神殿がありますが、こちらは規模は大きいですが、復元されているのはごく一部です。毘佐里と下は、エギナの夕暮れと海辺の教会です。
エギナの北海岸から見るアテネです。夕方、気象状況が良いと、8倍の望遠鏡でアクロポリスが見えます。石柱の数も何とか数えられるくらいです。
毎夕、決まった時間に、クレタやロードスへの豪華フェリーの航行が見えます。
魚市場には食堂があり、タコや鰯を焼いて食べさせます。とても旨いので、2日置きくらいに出かけました。エギナの港(上)の他は小さな漁港しかありません。それで十分なのです。
近年はアテネからの客が増えていますが、多くは日帰りです。
エギナ島はのんびりしています。アテネから20`ほどしか離れていないのですが、有名な島ではないからです。だから島に大きなホテルはありません。ジジ・ババの定宿(上)は、音楽会を夏の夜に1度だけ開きます。
▼寄り道
宿のお爺さんはタコ採り名人です。凪だったら朝の5時に小さな船で沖へ出ます。港と言っても岩場の陰に大きな石を投げ込み、ちょっとだけコンクリートで固めただけです。採ったタコは平らな“タコ打ち場?”にたたきつけ、筋を切ります。棒に並べて軽く干し、焼いたり煮たりりです。
▼寄り道
北東の山上に神殿があります。かつて商業で栄えたこの島は、アテネの羨望を買い、攻められて従属したそうです。
ポリスにつきものの運動場や劇場跡は発掘されていませんが、8月の決まった夜に、神殿前の広場で“暗い、クラーイ演劇があります。解説してもらっても、意味不明です。
言い伝えをそのまま劇としているのでしょう。
シーズン中、エギナにはクルーズ船がやってきます。2時間ほど停泊して別の島へと去っていきます。観光客は港の前のマーケットやビーチで遊び、忙しく船に戻ります。
宿の窓から海が見えます。ときどきヨットがのんびりと過ぎていきます。気だるい午後、老人はレストランでまどろみ、ジジはウニ採りに潜ります。成果はワインと一緒で最高です。この海はウニ採りも自由です。
▼寄り道
日章旗が掲げられるのは良い気持ちです。ギリシャ、EU、日本、ドイツ、スイス、ノルウエーの旗が並んでいます。日章旗はジジ・ババの訪れる7,8月の他には、アテネ五輪の時、市内に宿を取れなかった日本人が泊まったときだけです。
ジジ・ババは目刺しも作りました。魚市場で鰯は安く買えます。裏町の店には、デブのギリシャ女性が泳ぐ人形がぶら下がっていました。本当に太っている女性は多く、それが普通なので皆、平気で泳ぎます。
ビスタッチオは日本でも見かけるようになりました。エギナ島の名物でもあります。左はビスタッチオを売るオヤジ。右は農園の木に房となって実っています。
エギナ島にはエギナの港の他に小さいけれどスーバラ、ペルディカ、エギアマリーナがあります。スーバラ=写真上=はアテネへ通勤などで朝夕にフェリーがあります。
エギアマリーナは島の南西、ペルディカは南です。この2カ所は2000年までは、寂しい漁村に数件の店あるだけでしたが、五輪が近づくと店もホテルも増えました。