香港~北京ラリー

中国クルマ社会の夜明け


1993年優勝のスバル

バイクの普及が進み〝自転車社会”から脱却、高速道路が急速に拡張されている時代だった。1986年に始まった香港~北京ラリーは94年にアジア・パシフィック・ラリーに名称を譲るまで、黎明期の中国の自動車界に強い刺激を与えた。高速道路は急速に地方へと延びていた。しかし、高速道路とはいかなるものかが周知されておらず、天秤棒で荷運びする人、家畜を平然と追う人も珍しくはなかった。



サムネイル   一口解説


 
 新/旧世界を駆ける

パリ~モスクワ~北京 の壮大なクルマ、バイク、トラックの“競技”を空からフォロー-したのは一年前だった。ヘリコプターで見る壮大な大陸は、感動連続だったが、競技車をある意味で性能の劣る市販車で追うのは、まるで異なる光景が展開するのだった。
新と旧のが混在し、新たな国造りに、自信を深めつつ、古い世界から新しい時代を広めて行こうとする思惑も垣間見える催しでもあったように感じた。
   
都市・地方で格差の貨幣価値


急速に近代化の進む中で、戸惑ったのは貨幣価値の地方と都会での格差だった。外国人は中国銀行の外貨兌換券(FEC)と人民幣が使える。我々の財布には両方がごっちゃになって、入っていた。田舎では人民幣が普通で、実のところ、外貨兌換券は所持しているだけ。
元を出しても〝桁違い”の世界で食堂風の處で支払うのも人民幣の角、その下の分の世界だた。しかし、北京では桁違いで、元の世界。田舎に比べると、超インフレに感じた。大きな国、発展途上では、こういうこと尾多るんだろう。

  逞しい露天商人 

 ラリーのスタートやゴール地点は、見物人であふれるようだ。 村の広場などに近い場所が選ばれているが、屋台が沢山並ぶ。狭い所では崖にへばり付くようにして商だ。中国の山村では朝食を外でとる習慣なので、学校の前の屋台では、先生と生徒が並んで同じ物を食べる事など、珍しくもない。
ラリーは毎日先へ、先へと進むので、同じ場所に戻ってくることはない。
我らは置いていかれないように高速道路も使うが、未完成尾部分が多かった。そんなところでは、天秤棒でに乙を担いだhとが、悠然と追うDンするので、かなり怖い思いをした。
 
ナンバープレートなしの“怪車”が行く

どういう関係の人物かは知らない。とても役立つ情報をくれた。
「赤ナンバーに注意しろ。ナンバー無しには、最大の注意と気配りを」…。
 どう言う人が乗っているの?と聞き返したが、苦笑しただけで答えは無かった。後で何人かに尋てみたら、高位・高官、徴収車のようだった。誰もはっきり教えてはくれなかったが、そのぶん”怪しい”くるまではあるようだった。

「触らぬ神に たたりなし」、
   何でも食ってやる

世界を旅していると、様々な食べ物に出会う。一般道を走っていると、昼食は食いもの屋を探す事になる。ある都市で入ったのは〝ゲテモノ食堂”とでもいうかー。ウサギあたりでお終いにしておけば良かったのだが、これはいい客、と思ったのか、バタバタとはばたく野鳥に始まり、口をはばかる動物。挙句の果ては、ヤットコで頭を挟み、左腕で首をつかんで、登場したのは毒蛇。すすめられるままに食った。意外とうまかった。

 天安門広場と人民大会堂

 天安門広場は開放されていた。表彰式は人民大会堂だった。SSは万里の長城編のぼりだったので、早立ちして長城見物。天安門広場を歩いて、人民大会堂へ入った。
北京の主要な観光名所を巡った感じでもある。大会堂には人民解放軍の女性音楽隊が陣取り、指揮者は大変な美女で、カメラマンが集まり、記念写真の申し入れも盛んだった。後先はともかく、この時点では〝大解放”の雰囲気ではあった。