中尊寺から水沢へ



 
中尊寺の門前には弁慶の大きな墓石がある

秋の行楽地を求めて東北自動車道を走った。雨に似合う風景といえば古い町並みや由緒ある神社仏閣だが、

好天を期待して水沢から陸中海岸へと取材地を決めた。
「天高く馬肥ゆる」東北の秋はすぐそこ。駆け足でやってくる紅葉と澄んだ空気、それになにより食べ物

のおいしい季節である。義経伝説や南部藩の歴史探索、まもなく実る米や果実、三陸に水揚げされる魚介

類の味覚を楽しもうと旅に出た。今回は中尊寺と南部鉄の町水沢を巡った。


秋の行楽地を求めて東北自動車道を走った。雨に似合う風景といえば古い町並みや由緒ある神社仏閣だが、

好天を期待して水沢から陸中海岸へと取材地を決めた。
「天高く馬肥ゆる」東北の秋はすぐそこ。駆け足でやってくる紅葉と澄んだ空気、それになにより食べ物

のおいしい季節である。義経伝説や南部藩の歴史探索、まもなく実る米や果実、三陸に水揚げされる魚介

類の味覚を楽しもうと旅に出た。今回は中尊寺と南部鉄の町水沢を巡った。


    
 



<コース>
(東北自動車道)-平泉前沢IC-平泉(中尊寺)-鋳物の町水沢-(国道397号線)-(国道107号線)-大船渡市
全行程約170km



●雨の古刹 中尊寺

東北自動車道を北上、約100km、平泉前沢ICを出る。まもなく中尊寺の境内下の駐車場に着く。

大粒の雨も小雨に変わり、しっとり濡れる緑の木立の中を平泉町営駐車場から国道4号線を挟んで

月見坂を登る

  
                 月見坂                                           弁慶堂

天治元年(1124)に建立、天台宗東北大本山で、藤原清衡の造営。全盛期は堂塔四十余、禅坊三百を超える

規模だったという。だが度重なる火災で建立当時から残るのは藤原四代の廟である「金色堂」のみだ。


後に再建された「弁慶堂」「薬師堂」「地蔵堂」「峯薬師堂」など多くの堂があり、これらの建造物を守る

ように巨木や老木が被う。また深い苔の緑が、昔を語る。雨に濡れた鮮やかな緑も美しいが、落葉樹の多い

木立は紅葉の季節は饒舌に古を語るだろう。

 


   

                     池に映える峰薬師堂                 杉並木越しに中尊寺本堂の屋根

中尊寺本堂
 

14世紀に諸堂を焼失して以来、明治42年(1909)に再建された本堂中尊寺の中心だ。堂内には1200年ほど灯り続けている

“不滅の法燈”がある。天台宗の総本山である比叡山は延暦寺より分火されたものである。いまも法要はここで行われる。


       
                     中尊寺本堂               線香の煙で無病息災を祈る



  

                                     参道は杉、楓の並木       参道脇に洒落た茶屋

大日堂、鐘楼、阿弥陀堂などの奥には釈迦堂や能楽堂があり、松尾芭蕉が“奥の細道”道中で

「五月雨の 降残してや 光リ堂」

と金色堂を詠んだ句碑や芭蕉の像もある。


    
        大日堂             鐘楼。

   
        芭蕉の像(左)と旧金色堂覆堂                   芭蕉の歌碑(五月雨や降り残して屋光リ堂)


                   能楽堂
金色堂

平安後期の阿弥陀堂建築で、藤原四代の廟。芭蕉が詠んだように光堂とも呼ばれ、床や天井、壁面まですべてを

金箔で飾られ、四本の巻柱は七宝がはめ込まれている。堂内中央には初代藤原清衡、左は二代基衡、右は三代秀衡

の遺骸と四代泰衡の首が収められた須弥壇(しゅみだん)があり、各壇上には本尊阿弥陀如来を中心に11体の仏像

が安置されている。


  
    金色堂(覆屋の中にある)       建物屋根は美しい曲線

江戸時代から幾度となく修理が行われてきたが、明治と昭和の数回にわたる大補修に

昭和26年(1951)、文化財保護法により国宝建造物第一号に指定された。昭和25年

(1950)須弥壇に安置された藤原四代公の学術調査が行われた。この調査により四代

泰衡の首桶から発見されたハスの種が平成10年に開花に成功、「中尊寺ハス」とし

て話題を集めたのを記憶している人も多いだろう。以降初夏には清楚な花を咲かせて

いるという。
次いで昭和37年(1962)から6年の歳月をかけて初の解体修理が行われ、金色堂は創

建当時の輝きを取り戻した。現在、外から見える建物は、金色堂を包む覆堂だ。内部

は残念ながら撮影禁止だ。


  
     苔・杉・灯籠…           踏まれて根が露出

○讃衡蔵(さんこうぞう)

中尊寺の17ヶ院に伝わる秘宝や資料を集めた宝物庫で清衡、基衡、秀衡三代をもって名付けられたもので国宝や

重要文化財3000点余りを収蔵している。必見は永久5年(1117)から8年をかけて清衡が書写した“紺紙金字交書

一切経”だ。日本写経史上の頂点といわれている。
また、中尊寺周辺には源義経、弁慶などのゆかりの寺や館跡なども残る。幼少のころ平泉で過ごした義経は平家

の滅亡後、兄の頼朝に追われ藤原秀衡を頼りここ平泉に落ち延びてきた。

しかし、義経の庇護者であった秀衡はまもなくこの世を去り、頼朝の力に屈した四代泰衡は義経を攻めた。北上川ほとり

の高台衣川館にいて急襲を受けた義経は、館に火を放ち妻子とともに自害した。その衣川館が現在の「高館義経堂」だ。
そして弁慶が立ち往生したといわれる「中の瀬」はこのあたりより少し上流の、北上川と衣川が合流するあたりといわれ

ている。



参道から衣川を望む


参道入り口には土産物屋が賑やか

このほか平泉には平安時代の庭園遺跡がほぼ完全に残るという「毛越寺(もうつうじ)」、弁慶の墓などもある。

●南部鉄瓶(南部鋳物)の町 水沢

水沢は南部鉄瓶のふるさとだ。東北新幹線水沢駅西口の羽田町一帯には約60余もの鋳物工場が点在する。
歴史は古く平安時代末期(1088年頃)江州(滋賀県)から鋳物職人を呼び寄せたのがはじまりで、藤原文化の先駆け

となる伝統的な鋳物の産地である。後に伊達藩の保護のもとに大きく発展し、明治中期には鍋釜などの日用品の生産

地として東北一を誇っていた。
そして、太平洋戦争当時は軍需産業に転換、規模の拡大とともに、鋳物工業産地として全国的に有名になった。



水沢は南部鉄の町(新幹線駅前)

戦後は再び日用品鋳物から南部工芸鋳物産地として復活。現在は鋳物が美術品にまで高められ、それぞれ著名

な作者により新しい鋳物作品が、生み出されている。駅前の伝統産業会館には各工房で作られた作品が展示さ

れている。また製造過程を人形を使って教えてくれる。


   
昔の鉄加工。人形がその様子を見せている   駅前の物産館には鉄瓶が並ぶ

若い人の中には鉄瓶といってもピンとこない人もいるかもしれないが、炭火に鉄瓶でゆっくり湧かした湯は

水道のカルキの匂いも消してやわらかくうまい。その上、鉄分が含まれていて健康にもよい。



 北上川