| 箱根旧街道 “箱根の山は天下の険”と詠われた昔はもう遠く、快適なドライブウェイが縦横に走る箱根路は、四季を問わず 観光客で賑わっている。首都圏から日帰りができるとあってドライブコースとしての人気が高い。なかでも富士 山を間近に眺め、眼下にコバルトブルーの芦ノ湖が一望に楽しめる好天の休日などは、クルマの渋滞が激しく、 駐車場はどこも満車状態ということもある。
<コース> (東名高速)−首都圏
日本橋から数えて9番目の宿場、小田原からいよいよ天下の険の箱根路を行く。といっても徒歩ではなく車。山越えも一日 がかりではなく、往時の面影を残す地点をピックアップしながらの旅である。 この三枚橋とは、当時、三枚の板でできていたことからこう呼ばれている。この橋より箱根峠への上り坂四里を「箱根東坂」、 峠から三島へ下る坂四里を「箱根西坂」といった。
箱根温泉の開湯は奈良時代、釈浄定坊により発見され、箱根山は、治承4年(1180)源頼朝が平家との合戦「石橋山の戦い」 で敗れたあとに潜んだ場所だ。その後、平家を打倒し、勝利を祈願した箱根権現(神社)は頼朝以下、鎌倉の将軍により厚 く信仰された。鎌倉の武者たちも参詣の行き帰りに温泉で心身を癒したという。
とからだといわれている。
。 ●早雲寺 旧東海道に入ってすぐ、杜の中にひっそりと佇む寺。関東における代表的な戦国大名で、1590年に豊臣秀吉によって滅ぼされる まで、約100年続いた北条家五代の菩提寺だ。北条早雲(1432〜1519)の嫡男、二代氏綱によって、大永元年(1521)に建立さ れた。
●畑宿
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●お玉ヶ池
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県道沿いにある今はなんの変哲もない池だが、ここは江戸時代に関所破りの重罪で、処刑された娘の悲話を語る池なのだ。 |
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●元箱根石仏・石塔群
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芦ノ湖畔から国道1号線を大涌谷方面へ約1km戻ったところに精進池という名の池がある。 |
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●箱根関所跡と復元された関所
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日本橋から数えて10番目の宿場として、元和4年(1618)年江戸幕府が、小田原と三島の間の芦ノ湖湖畔に箱根宿を設けた。もとは荒れた地であったため人が寄りつかなかった。そこで幕府は、小田原と三島から税の優遇策とともに、強制的に50軒づつ移住させ、できたのがこの宿場町であった。 |
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明治2年(1869)に廃止され取り壊されたが、関所資料館として面影を残していた。昭和58年(1983)に、慶応元年(1865)の江戸末期に行われた関所解体修理の詳細な報告書である「相州箱根御関所御修理出来形帳」が発見された。 |
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近くには資料館もあり、取り調べの様子や手形など約1,000点の資料が展示されている。 |
●箱根神社
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元箱根、芦ノ湖上の朱色の鳥居から三鳥居まで石段の参道が一直線に続く。石段の数は約200段、その上に本殿がある。 |
●山中城
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箱根峠から国道1号線を三島へ下ると間もなく、国道沿いに山中城跡が見えてくる。豊臣秀吉の北条討伐でたったの1日で落城した城として知られる悲劇の城だ。 |
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広い敷地に堀障子と呼ばれる空堀や曲輪、土塁、櫓台、井戸、池などが残る。みどころは空堀で、いまでも結構深いが、往時は今より2m以上も深かったというから、急な赤土の斜面を登るのは攻める側も大変だったと推測できる。 |
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