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景勝地天橋立から味覚の丹後半島・
温泉の但馬へ

ノスタルジックな雰囲気が漂う舞鶴から、日本の景勝地として名高い天橋立へ。そこで雪舟が天橋立を描いたという展望台から眺め、さらに龍が天に昇るように見えることから名がついた「飛龍観」や対岸「傘松公園」など、ひと味違った天橋立の
眺めだったた。
さらに丹後半島の「舟屋」で一休み。半島を一周して城下町の風情を残す出石(いずし)町で遊び、城崎温泉、湯村温泉をひとめぐり。
ドラマ「夢千代日記」から感じる日本海の荒波、降雪など山陰の暗いイメージはすでに過去のもの。11月初旬の松葉ガニの解禁とともに海辺の旅館も温泉宿も、カニを目当てに全国からやってくる人々で満室になる。除雪された道路沿いに並ぶ“カニ、カニ、カニ”の派手な看板と店には大型観光バスから降り立った人たちに売り手の声が響くというのが、今回めぐった舞鶴、丹後半島、但馬など日本海沿岸の今日の冬景色だ。
そんな冬を前にした今回の旅からも、賑わう季節の到来が感じられた。

<コース>
舞鶴−(国道175〜178号線)−宮津天橋立

(1)舞鶴港から天橋立
●舞鶴
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舞鶴市は五老岳(標高約300m)をはさんで東と西の2つの町に分かれている。
西舞鶴は、江戸時代には田辺城下の竹屋町などに廻船問屋ほか商家が建ち並び、明治2年(1869)田辺町が舞鶴町へと改称。
そのころ東舞鶴はまだ農漁村が点在する小さな集落だったが明治34年(1901)海軍鎮守府が設置され、軍港都市となり明治43年、東舞鶴市が舞鶴市に合併した。
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舞鶴・引揚記念公園の望郷慰霊碑
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京都府の北部、京阪神から100km圏にあり、近畿日本海側の重要な港湾で、ロシア、韓国、中国の大連・青島を結ぶ定期航路がある国際都市だ。
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●舞鶴引揚記念館
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舞鶴東港は、昭和20年(1945)第二次世界大戦の終結とともに、当時海外に残された660万以上ともいわれる人々が昭和33年(1958)9月7日の最終船まで、13年もの長い間の引き揚げ港としての使命を果たしてきた。当初はこのような港が全国に10ヶ所あったが、昭和25年(1950)以降は国内唯一の引き揚げ港として「引き揚げの町・舞鶴」の名前で全国に知られていた。
舞鶴には、主として旧ソ連(現 ロシア共和国)、中国など大陸からの引き揚げ者66万4,531人と1万6,269柱の遺骨を迎え入れた。
終戦当時、大陸に残された日本人はおよそ57万人がソ連に送られ、その内47万2,000人がシベリアの収容所で、長い厳しい労働を強いられた。ここにはこうした辛く悲しい集団収容所の様子、抑留生活、祖国へ帰りついた時の人々や、肉親の帰りを待つ人などの写真も展示されている。
/入館料 300円、TEL 0773-68-0836
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桟橋は修復
されていた
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記念館の近くには、引き揚げ船が入港した当時の桟橋跡も復元されている。ここで帰らぬ我が子や夫を待つ女性の姿がいつしか「岩壁の母・妻」と言われ、唄や映画にもなった。湾内を望む公園には「岩壁の母」のメロディが流れていた。
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引き揚げ船はこの桟橋の沖に停泊。
小舟で上陸したという
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公園から見る引き揚げ者が
帰還第一歩を印した桟橋(修復)
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●赤レンガ倉庫群
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舞鶴の倉庫群。かつて
日本海軍が使った
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東港にある市役所の並びには、かつての軍港の名残である倉庫や工場など、海軍関係諸施設だった赤レンガの建物が数多く残されている。なかには全国で4基しかないホフマン窯や鉄道施設など、建物の数では日本有数の赤レンガの町といえる一画だ。現在は使用されていない建物も多く、あまり観光化されていないのがいい。
「赤れんが博物館」は明治36年(1903)、旧舞鶴海軍の魚雷倉庫として建設されたもので、本格的な鉄筋構造のレンガ建築物としては、国内に現存する最も古いもの。内部は世界四大文明や万里の長城などの貴重なレンガをはじめ、世界各国のレンガ建造物が模型で展示されている。
/入館料 300円、TEL 0773-66-1095
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●道の駅・舞鶴とれとれセンター
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西舞鶴の郊外、国道175号線沿いにある大型の魚市場。主に舞鶴湾で水揚げされた魚を扱う店が並ぶ。いま近海で捕れている“タルイカ”という巨大イカをはじめ、ハマチ、ウマズラ、甘エビ、生け簀には網ですくい取りの出来る大きなタイが泳いでいた。
なかでも話では聞いていたが、見たのははじめての“タルイカ”には驚いた。隣りに並ぶシロイカのなんと小さいことか。刺身にするときは、一度冷凍し、解凍してからの方が甘みが出て美味しいのだそうだ。約5キロほどの物でいっぱい5,000〜6,000円。「安いよ、買っていけ!」なんて威勢のよい言葉をかけられても、こればかりは旅の途中で買っても困る。
当然、舞鶴近海ではない魚も産地を正直に教えてくれるし、店で買った魚を調理して食べさせてくれるところもある。
/TEL 0773-75-6125
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舞鶴の「とれとれ市場」
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市場には地物の魚が沢山あった
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5キロもある「タルいか」(左)と
箱に並ぶ「白いか」(右)
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一皿1000円。店の中で食べられる
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●安寿の里
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由良川を渡り国道178号線へ入ると間もなく「安寿と厨子王」の銅像記念碑がある。
筑紫の国に流された父を尋ねて、母と共に越後を旅立った兄弟が、途中、人買にあって丹後由良の山庄太夫のところへと売られた「安寿と厨子王」の物語は芝居や踊りで有名だ。
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この近くには山庄太夫の屋敷跡がある。由良嶽山麓石浦の地に屋敷を構え、三庄を押領として富み栄えたという伝説がある。
この伝説が森鴎外の小説「山椒太夫」によって世に知られるようになった。
この由良川に沿った一帯には三庄(山椒)太夫伝説に関わる遺跡が多く残されているそうだ。
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安寿と厨子王の像
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三庄太夫とあった
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●天橋立
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若狭湾の奥深く、宮津湾と阿蘇海を二分する帯のような細長い松林の連なり。古くから宮島、松島とともに日本三景の一つの数えられている景勝地。青い海に延びる緑の松林と白い砂浜の自然の造形美は季節によって、場所によってさまざまな表情を見せる。遠い昔から人々を魅了してきた天橋立を3つの場所から眺めてみた。
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●雪舟観
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雪舟の見た天橋立とほぼ同じ位置に立った。ビルは目触りだった
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栗田半島の付け根にあるこの場所は、車は一台駐まれるスペースから鳥居をくぐり急な階段を100段ほど上った山の上にある。展望台のような施設はあるが、ほとんど人の訪れる気配はない。天橋立を真横から見る形だが、今は対岸に民家やホテルなどが建ち並び、家々と一体になり陸続きかと思うような光景だ。
雪舟の天橋立図はこの雪舟観を含めたいくつかの場所からスケッチし、それを合わせたり、想像の部分などもあるなどの諸説がある。
昔は海の中に横たわる天橋立も、いまでは雪舟観から見ると異なった風景に映る。
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雪舟観展望所への案内
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雪舟が天橋立図を描いた丘への階段。
神社もある
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●玄妙庵
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南から見る天橋立。飛龍観と呼ばれる
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文殊山への小高い山の上に建つ、江戸時代に創建されたという古く歴史を感じさせる宿。天橋立が一望できる高級旅館だが、予約すれば食事だけもできる。
麓の駐車場からリフトで上れる文殊山公園展望台へ行くこともできる。両者から眺める天橋立はまるで龍が天に舞い上がるように見えることから、この景色は「飛龍観」と呼ばれている。
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●傘松公園
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対岸(北)のこの公園には宮津から阿蘇海を回り込むように国道178号線を約10kmほど行く。麓の元伊勢籠神社社務所付近からケーブルとリフト乗り場へ。どちらも平行して傘松公園展望台行きだ。
成相山(標高569m)の中腹にある傘松公園展望台からの眺めは、天橋立が斜め一文字になって見える。展望台にあるベンチのような石は、名物「股のぞき」をする台。
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国道178号線は綺麗な海岸線が多い
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「股のぞき」とは神代の昔のこと、神が天から長い梯子を懸けた。それが一夜のうちに倒れてできたのがこの天橋立と伝えられている。そこで「股のぞき」をすることにより天橋立は、元の天に懸かっているように見えるのだという。
なるほど脚を開いて股間より眺めると、なんと不思議なことか文字通り天に懸かる天橋立なのだ。
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股のぞき台から天橋立を見る女性
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傘松公園の股のぞき、で見る天橋立
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全く同じ景色でも、股のぞき、とは印象が異なる
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●丹後魚っ知館(ウオッチ館)
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関西電力宮津エネルギー研究所であった敷地内にある水族館。若狭湾に突き出た栗田半島にある。研究所は最近閉鎖されたが、付属水族館だけを残している。大小27もの水槽に丹後周辺の海に棲む魚介類が展示されている。いま日本海に大発生している“越前くらげ”も見ることができる。
この“越前くらげ”の大発生で漁業に深刻な影響が出ているというニュースは周知の通りだが、実際、舞鶴から鳥取の県境に近い浜坂までの今回の取材旅行中、沿岸の地元の人にくらげの被害を尋ねたが、「この辺にはあまりいない」という言葉ばかりが返ってきた。被害がないことは嬉しいが、日本海沿岸全体を覆い尽くすといった大群のくらげの映像はどこだったのだろう。11月6日の解禁となるカニに被害のないことを祈りたい。
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