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初瀬街道は2000年前に垂仁天皇の皇女倭姫が天照大神の鎮座する地を探す旅でたどった道筋からと伝えられている。伊勢−奈良を結ぶ街道で、青山峠を越えて名張・室生を経て橿原で伊勢街道に合流して、桜井へと至る。
街道沿いには、室生寺・長谷寺をはじめ歴史のある多くの神社仏閣があり、仏像、磨岩仏、石仏なども見られる。さらに古い町並みや屋敷、重厚な佇まいを今に残す家屋もある。
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<コース>
三重県津市−(国道165号線)−阿保−(国道422号線)−名張−(国道165号線)−室生−(県道28号線)−室生寺−(国道165号線)−長谷寺−萩原−(国道370号線)−大宇陀−(国道370号線)−吉野山−(県道15号線)−明日香村−橿原
行程 約100km

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伊賀の上野町より再び初瀬街道(国道165号線)へ出て橿原方面へと向かう。名張市街を迂回して渓谷美で名高い夏目、世界の珍しいサンショウウオがみられるサンショウウオ・センターがある赤目四十八滝の案内板を見ながら、室生寺を目指して車を走らせていた。その室生寺に向かう分岐点近くに、大きな磨岩仏の寺があることを知った。大野寺だ。 |
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大野寺は、天長元年(824)に弘法大師が室生寺を開創したとき、西の大門として開基された。慈尊院弥勒寺と称したが、いつしか地名の大野寺というようになった。いまは寺そのものは小さいが、狭い境内から清流を隔てて仰ぎ見る弥勒観音さまの慈悲深いお姿に、誰もが心洗われるだろう。 |
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国道と分かれた室生寺への道は、室生川を遡り、奥深い山と渓谷の中へと入っていく。間もなく室生寺への上り口に杉の巨木に囲まれた龍穴神社がある。室生寺のみを目的に車で上って来た人には見過ごしてしまいそうな、社は深い木立の中にある。 |
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神秘的な雰囲気の漂う古社の奥深くに龍神のおわす龍穴がある。徒歩20分も山を登った場所にあるので、今回は先を急ぐためパスをした。 |
深い山や渓谷に囲まれた場所は古くから神々の坐す聖地と仰がれていた。奈良時代の末、この室生の聖なる地で皇太子山部親王(後の桓武天皇)病気平癒祈願が興福寺の高僧賢憬など5人の僧によって行われた。そして、病気が治ったことから、勅命により国家のために創建されたのが室生寺であった。 |
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赤い太鼓橋をわたると表門に着く。表門から奥の院まですべて石段で、その数724段もある。 |
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長い石段は続く。五重塔から奥の院までは、原生林に囲まれた急な石段を登る。奥の院には、舞台造りの位牌堂と弘法大師四十二歳の像を安置した御影堂(鎌倉時代のもので重要文化財)がある。寺守の老人がひとり、毎日、724段の石段を上り下りして、もう60余年になるという。 |
初瀬山の中腹にある長谷寺は、山号を豊山(ぶさん)と号し、朱鳥元年(686)、道明上人が天武天皇のために「銅板法華説相図」を初瀬西山に安置したことにはじまった。後に徳道上人が神亀4年(727)天武天皇の勅願により十一面観音像を東の丘に祀った。 |
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平安時代には貴族の参詣が盛んになり、このあたりは、長谷寺の門前町として栄えてきた。いまでも昔の街道沿いの狭い道に、飲食店、みやげ物屋、旅館などがひしめき合っている。 |
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本堂には天文7年(1538)に作られた御本尊十一面観音菩薩が安置されている。高さ10m余もある木造観音像で、全国に広がる長谷観音の根本像だ。国の重要文化財に指定されている。ご開帳は4月〜7月、10月〜12月で、特別拝観料1,000円(入山料別)。 |
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明日香村にほど近い大宇陀は「男は鹿を狩って角をとり、女は薬草を摘む」場所として日本書紀に記述を残す。日本で最初の薬草と猟場を併せ持ったところ。万葉の時代には宮廷の狩場でもあった。戦国時代には織田信長の次男信雄以後4代が統治した城下町でもある。 |
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宇陀川の南北に細長く延びる町は、城下町から商家町として移り変わりながら、発展してきた。この町並みには前川と呼ばれる水路が走り、漆喰の壁に重厚な格子戸の造りの町屋をはじめ、洋館、土蔵、門、塀などが広範囲にみることができる。なかでも江戸中期の建物で薬問屋を商っていた細川家住宅だ。「薬の館」といわれ薬に関する品々や町の歴史・文化に関するものなどを展示している。 |
大宇陀の町並みから国道166号線を隔てた山腹に「徳源寺」という寺がある。織田宇陀松山藩主の菩提寺で、古びた石段を上り、寺からさらに杉木立の山道をたどると、大宇陀を見下ろす尾根に出る。 |
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樹齢800年の大ケヤキが屋敷の外へ向かって伸びる旧家。江戸時代初期より、九ヵ村の大庄屋を務めた支配階層で、相当の格式を認められた地主農家であった。母屋居室部の建築年代は、寛文10年(1670)とある。 |
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表門も天保3年(1832)の棟上祝儀帳により建築年代は明らかだ。 |
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現在も12代目、片岡彦左衛門氏夫妻の住まいである。個人の住居でもあるため内部見学はできれば予約した方がよい。当主にご親切な案内をしていただいた |