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古来から桜の名所として知られる吉野山。大峰山系の北端に位置し、南北8kmの尾根筋は吉野山と呼ばれ、万葉にも詠まれた美しい峰である。いまでは3万本もの桜が花を咲かせる吉野山。また修験道の聖地として開かれ、後に、源義経や後醍醐天皇などの歴史の舞台となり、さらに時代が下って、豊臣秀吉など武将の華やかな花見の宴もくりひろげられたところ。
吉野山を下れば飛鳥の地。古墳時代を経て推古天皇の即位から平城京遷都までの100年、中央集権国家の確立までの過度期にあった時代、ここから日本の歴史のはじまりといわれている。
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<コース>
三重県津市−(国道165号線)−阿保−(国道422号線)−名張−(国道165号線)−室生−(県道28号線)−室生寺−(国道165号線)−長谷寺−萩原−(国道370号線)−大宇陀−(国道370号線)−吉野山−(県道15号線)−明日香村−橿原
行程 約70km

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大宇陀から国道370号線を辿り、吉野川を渡る。吉野山は麓から下千本、中千本、上千本、そして奥千本と言われ、標高差500m余、約1ヶ月かけて山をピンクに染める桜の名所。この吉野山が桜の名所となったのは、約1400年前、この地が信仰の山とし、修験道の開祖、役行者が金峯山寺蔵王堂を創建後、多くの参拝者が、ヤマザクラの苗を植え始めたことからだった。 |
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また、京都での政権争いに敗れた後醍醐天皇(在位1318〜1339年)が52歳で生涯を終えたのも吉野であり、源義経が頼朝に追われたのも、この吉野である。その吉野山は平成16年ユネスコの世界遺産に登録された。 |
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14世紀に吉野朝廷を開いた後醍醐天皇を祀るため、明治天皇が創建した神社。御神体の後醍醐天皇像は、後村上天皇自らが彫ったものといわれている。明治25年(1892)社殿の完成とともに吉水神社から移された。 |
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7世紀末、修験道の開祖・役行者が、この金峯山を道場として修行し、蔵王権現を感得した。その蔵王権現のお姿を桜の木で刻み、御堂を建ててお祀りした。役行者が蔵王権現を桜の木で彫られたことから、桜の木が献木され保護されたことにより吉野の山が桜の名所となった。蔵王権現木像を御神体に金峯山寺が建立された。以来、金峯山は修験道の道場として、多くの修行者が宗派を超えて修行してきた。現在も金峯山寺は修験本宗の総本山として、参詣者が訪れている。 |
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金峯山寺の近くには、頼朝に追われた義経が隠れたといわれ、また豊臣秀吉が文禄3年(1594)「吉野山梢の花の色々におどかれぬる雪のあけぼの」と詠んだ峰の薬師堂跡や、境内を花見の本陣とした「吉水神社」、天之分水大御神を祀る「吉野分水神社」がある。ぜひ訪ねて見たい社の一つであるが、このあたりは、その狭い道沿いに旅館、土産物屋、飲食店などがひしめき合っていて、駐車場も少ない。しかもどこも駐車料金は一律1,500円だ。吉野山見物は、麓に車を駐めてケーブルと徒歩がお勧めだ。 |
“飛鳥時代”、日本史時代の呼び名の一つ、西暦592年、推古天皇の即位から和銅3年(710)の約100年、平城京遷都までの年代をいう。大化の改新がはじまった大化元年(645)、または天智朝(662〜671)以降を、白鳳時代と区別することもある。とくに美術史などでは、飛鳥と白鳳とに区別されているようだ。 |
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吉野山から明日香村へと続く古い道(県道15号線)を辿る。吉野山から一旦吉野川を渡り、吉野町役場のほぼ裏山から通じている山道を490mの芋峠を越えて明日香村稲淵へ出る。稲淵は日本の棚田百選に選ばれた日本の美しい原風景を残すところ。棚田の向こうに広がる平野が明日香村だ。 |
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石舞台とは、巨大な石を積み上げた石室で、飛鳥時代の豪族、蘇我馬子の墓と伝えられている。約30個もの花崗岩の巨石を積み上げて造られている。 |
積まれた石の中は、石棺でも入っていたのだろうか、天井の高い部屋になっている。石の建造物といえば、エジプトのピラミット、ギリシャの神殿やポリス、ローマのコロッセムやフォロロマーノなどを思う。 |
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岡寺から北へ数kmの「鎌足生誕地」の小さな標識に従って農道のような小径に入ると、いまにも崩れ落ちそうな社があった。大原神社といい、藤原鎌足生誕地という説明板があった。 |
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この大原神社から30mくらいのところに、東西約10m、南北12〜3mくらいのこんもりとした森がある。ここは、中臣鎌足の母である大伴夫人の墓とされる。円墳の中央の高さが3mくらいあるといわれているが、これが古墳とは見えず、注意しないと通り過ぎてしまいそうだ。 |
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万葉集“春すぎて夏きたるらし白栲の衣干したり天の香具山”(持統天皇)と詠まれた香久山。万葉では香具山と呼ばれていた。 |
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香久山の南の麓には、天岩戸神社が鎮座する。祭神は天照大神。古事記や日本書紀の高天原神話にも、香久山が記されていることから、ここにも大神が岩戸に隠れたとされる巨石があり、岩穴が御神体となっている。いまは参拝に訪れる人も少ないらしく、社も境内も荒れていた。 |
690年天武天皇の跡、飛鳥浄御原で持統天皇が即位。694年、かねてから建設中だった唐(中国)の都に習い、大きな都藤原京に遷都した。 |
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平成13年(2001)には、朱雀門より約250mのところで、1,200点もの木簡が発見された。木簡は大宝律令施行直後のものといわれ、二官八省などの律令制が整いはじめたことや、藤原京の都に集まってきた人々の様子が伺える資料となったという。 |