島の集落は港のまわりにある奥尻地区とその少し北に位置する宮津地区、最北端の稲穂地区、南端のこの青苗地区で約3,500人がこの島に住む。
青苗地区は人口がもっとも多い集落だったが、津波の被害も一番大きく、現在は島全体で人口流出がとまらないそうだ。高台に移住した住人のかつての居住地であった海岸線一帯は、きれいに整備され、震災の被害から復興までを「記憶、鎮魂、蘇生」という記録に残す「奥尻島津波館」が建つ。その周辺には慰霊碑「時空翔」や灯台の他、青苗漁港岸壁には「望海橋」という巨大な津波避難路があった。
高台に並ぶ新しい家々の中に旅館や民宿があり、スナックバーや寿司などの看板を掲げた店が3軒あるが、道内の夏休みも終わりということもあってか、どこも店を閉じていた。
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