リスボンの町とその周辺 ポルトガル(2)

リスボンの中心部から西に約6km、テージョ川沿いのベレン地区は、ポルトガルの輝かしい大航海時代の遺産の地だ。当時、すでにユーラシアからアフリカに至る広大な海はアラブ人に交易路が網羅されていた。海外進出を夢見たエンリケ航海王子はインド航路を探り出そうとし、ポルトガルは未知の海へと船を漕ぎ出した。1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路発見の偉業を成し遂げた。
16世紀初頭、ヨーロッパの列強が争っている間、ポルトガルは新大陸ブラジルを併合、インドやマラッカ海峡を掌握し、太平洋への拠点を確保した。
こうして海外からもたらされた富によって栄華を極めた建造物がベレンにある。
新大陸に向けて船出して行ったベレンから西、大西洋の海辺を辿ると、かつては寂しい漁村にすぎなかった浜はいまポルトガルの大リゾート地となっている。

<コース>
リスボン(Lisboa)−ベレン(Belem)−エストリル(Estoril)−カスカイス(Cascais)
全行程 約30km

ベレン(Belem)のみどころ
●ジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jeronimos)

ジェロニモス修道院
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テージョ川の大河口沿いに、ヴァスコ・ダ・ガマのインド洋航路発見を記念して、当時の海洋王といわれたエンリケ王子が設計したという礼拝堂。その礼拝堂を基に1495年に即位したマヌエル一世によって造られた壮麗な建物。
マヌエル一世の時代にポルトガルが最も繁栄し、その権力と財力で各地にマヌエル様式と呼ばれる建造物を残した。
ジェロニモス修道院もその一つで、1502年から19世紀前半までの長い歳月を費やして完成された。その莫大な建設費は、当時の多くの植民地からもたらされた富である。まさに大航海時代の栄華を反映させた建物だ。
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内庭から見るジェロニモス修道院の回廊
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この修道院の最大のみどころは、中庭を取り囲む約55m四方の回廊。石灰岩を用いた外柱やアーチには船のロープや貝など海にまつわるもの、花などをモチーフにした緻密な彫刻がほどこされている。
1階の設計者はマヌエル様式建築を残したボイタックで、2階は彼の死後建設を引き継いだスペイン人ジョアン・デ・カステリーリョが手がけた。2人の違いが見てとれる。
/入館料 4.5ユーロ(約600円)
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この壮大な建物の南門右手には、サンタ・マリア教会がある。修道院の名の由来ともなっている聖ジェロニモスの生涯を描いた彫刻や、その上部にはエンリケ航海王子の像がある。
石造りの荘厳な雰囲気を持つ内部左には、ヴァスコ・ダ・ガマの棺、右側には、ヴァスコ・ダ・ガマの偉業を叙事詩としてうたいあげたポルトガル最大の詩人、ルイス・デ・カモイスとペソアの棺が安置されている。
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サンタマリア教会
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サンタ・マリア教会の礼拝堂
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●国立考古博物館(Mueeu Nacional de Arqueoiogia)
19世紀に修道院の西に増設された博物館で、ポルトガル各地や植民地などから集められたものが展示されている。大航海時代のポルトガルのコレクションで、珍しいものではブラジルの鳥の羽で作られたマスクやエジプトのミイラなどもある。
また古代ローマ時代の青銅器、陶器や宝石などポルトガル国内で発掘されたものなどがある。
/入館料 2ユーロ(約280円)
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●海洋博物館(Mueeu da Marinha)
修道院の西の外れに併設された建物で、1階には、エンリケ航海王子の巨大な彫刻をはじめ、大航海時代の歴史や航海に使われた道具などが展示されている。
18〜19世紀に建造された船模型もある。
/入館料 3ユーロ(約420円)
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海洋博物館
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●発見のモニュメント(Padrao dos Descobrimentos)
1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して造られたモニュメント。テージョ河口から大西洋に向かって、いまにも船出するかのような帆船をイメージした、高さ52mの記念碑だ。船首には、エンリケ航海王子が立ち、その後にはヴァスコ・ダ・ガマをはじめ、天文学者、宣教師、地質学者、詩人や船乗りなど、この時代に活躍した27人の偉人たちが続く。
エレベータで屋上へ出れば、ジェロニモス修道院の全景や、4月25日橋、対岸のクリスト・レイを眺めることができる。リスボンの絵になる風景の一つ。
モニュメント前の広場には大理石のモザイクで造られたコンパスと世界地図、各地を発見した年号が記されている。日本が発見されたとされている1541年は、ポルトガル船が豊後に漂着した年なのだが……。
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発見のモニュメント
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モニュメント入り口の碑
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●ベレンの塔(Torre
de Belem)
1519年、海からの侵入者を見張るため、リスボンの西の砦として建てられた塔。マヌエル様式を代表する建物の一つでもある。海への出口に建つこの石造りの塔は、船乗りや旅人を迎え、二度と戻らない人々も見送ってきた。いまは2層の堡塁部分と4層の塔からなり、4階は「国王の間」であり最上階は王族の居室であった。そして、3階は兵器庫、2階は砲台で、1階は潮の干満を利用した水牢だった。
水牢といえば、大潮のときには獄中の多くの囚人が溺れ死んだベネチアの水牢が有名。「ため息の橋」を渡ったところにある。囚人とはいえそんな大潮の日も王族たちは、この階上で平然と暮らしていたというわけだ。かつての王族の居室は今は博物館となっている。
/入館料 4.5ユーロ(約600円)
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●エストリル(Estoril)
リスボンの西、テージョ川から大西洋に出たあたりの一帯は、コスタ・ド・ソル(太陽海岸)と呼ばれる大リゾート地だ。規模が小さいが、スペインのコスタ・デル・ソルとよく似たヨーロッパ有数のリゾート地。
浜辺を走る鉄道を挟んで、ポルトガルで一番大きなカジノがある。周辺には大型ホテルやリゾートマンションが林立し、町外れには瀟洒な別荘も並ぶ。
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エストリル海岸
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エストリルへの道
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古い建物が残るタマリス海岸の浜辺は、夏には海水浴客で賑わうが、ここ数年の間にテージョ川の汚染で海に入る人が少なくなったとか。
また最近、海岸線が整備され、かつて海辺に張り出したテラスで、ポルトガル名物「イワシの塩焼き」などリーズナブルで美味しいものを食べさせてくれた数軒のレストランが姿を消し、コンクリートの散歩道になっていた。
どこの国でも開発や整備という名のもとで、自然が破壊されコンクリートで塗り固められてしまうようだ。とくにEUに加盟国した国々は急速に開発が進んでいる。
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エストリルのビーチ
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ムール貝(左)とブルセービシ
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●カスカイス(Cascais)
コスタ・ド・ソルの西の外れに位置する。古くは漁師町だったが、19世紀に王室一族の避暑地となってからは、貴族などの別荘も建ち、今日ではヨーロッパやアメリカからの観光客も多い有名なリゾート地となった。
カスカイスの浜は岩礁が多く、大西洋の荒波が白く砕ける豪快な景観はエストリルとは異なる。
このカスカイスとエストリルのほぼ中間あたりに、巨大なショッピングモールとレストラン街がある。かつては漁港だったと思われる古い灯台のある港にはヨットが並んでいた。モールの入り口にはゲートがあって1時間1ユーロの駐車料金がかかる。
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カスカイス港の灯台
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カスカイスのヨットハーバーと中世の城壁 |
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