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      ParisDakar Rally   日本人初優勝

            シノケンさんが逝ってしまった。虎ノ門の高層ビル をのんびりと見て回り、休んでお茶を飲んでいるときに、旧友から電話が入った。

           「建次郎が亡くなりました」

          同じ会社(三菱自動車)に入って数年、一緒にラリーをやっていた云わば戦友みたいな相棒。

シノケンさんがパリダカに参戦するようになってからは所属していた広報部で後押しをする役目をしていた。

           「亡くなったの。悪い病気だったからナー」

           「まだ、今後の事は決まってないけど、決まり次第、しらせますよ」

   気落ちしたようだった。彼自身も病気がちで今は回復しているが、元気とは言い切れない状態だ

           周囲を見ると一人、また一人と友人が消えて行く。ジジの山登りの後輩二人は、2年ほど前に亡

くなった。やはり頑健だった同期の山の友人二人はいろいろと不自由になり、施設へ入ってしまった。そして、春と11月に帰らぬ人となった。

           「君たちはどう生きるか」とかいうタイトルの本が売れていると聞くが「いや、それは違う」

と自問する。

       「俺たちはもう、生きてしまったのだよ」

       シノケンさんとは数々の思い出がある。彼のパリダカ参戦には,ほぼすべて付き合った。サハラ砂漠
を駆ける
シノケンさんを時に車、時にヘリコプター、時に小型機で追った。オーストラリアのラリーやアフリカのWRCにも、チュニジア、モロッコ、UAEなどにも同行した。パリから北京までのただ一度の壮大なラリーも一緒だった。

      エピソードは限りないが、上げる気にはならない。満天のサハラの星々。砂に反射するような太陽。砂塵を巻いて突っ走るパジェロ。体に合わせたシートに収まるのだが、必ずドーナツのょうに穴をあけた尻当てを使ていたっけ。

      饒舌ではなかったが、人をそらさず、実のある会話ができた。そういえば彼が日本人初のパリダカ優勝者となった時のナビ、アンリー・マーニュ(アンドラ)は、数年前、壁に激突した車の中で即死した。

      シノケンさんもこりゃ駄目かと思うような際どいところで何度も助かっている。強運だとおもっていたが、病には勝てなかった。冥福を祈って合掌。

      2024年3月18日