青森・三内丸山遺跡


青森市南西部にある遺跡で、今はその象徴的な存在となっている櫓。

縄文時代前期から中期末(5900~4200年前)にかけてのl大規模な集落の跡。存在は江戸時代から知られていたというが、野球場などを作るために開発を始めたら、大規模遺跡が出現。発掘調査の上で、遺跡公園として保存することに1997年には国の特別j史跡に指定され、住居跡には縄文時代の掘立小屋などを推定復元してある。

大型尾掘立小屋は、屋根をかける大きさとほぼ同様の穴を掘り、栗の木を使って柱がたてられていた。栗の木は腐食しにくく、丈夫なため最近まで鉄道線路の枕木として大量に使用されてきた。遺跡の栗の木は埋める部分が焼かれていて、腐りにくく加工してあった。また、掘った土などは建物の首位に盛り上げ、水が流れ込むのを防ぐ役割などに充てていたようだ。


小屋が復元されている

集落の近くには川が流れ、そこへ流入する小川もあったが、そういうところや谷は、ゴミ捨て場になっていたようで、多くの土器や動物の骨などが見つかっている。竪穴式の建てもlのは、キチンと内部が掘り下げられていて、居住用の床も設けられていた。6本のl太い柱に支えられた櫓の使い道ははっきりしていないが、祭祀用、物御台などいくつかの説があるが、結論は出ていないようだ。

    
ぴったりと土にくっついている掘立小屋上の住居と穀物倉庫の説もある高床式の建てものもある。



太い木材を巧みに組み合わせて、建物は作られている。

 

出土品は丁寧に展示されている。

遺跡内部は広々としていて、晴れた日ならゆっくりと散策するのに打ってつけ。展示場はきれいな建物で土器を始め出土品が並ぶ。ゆっくり1日をかけて見て回るのがいいようだ。