


10億人を超す人口。中国に次ぐ巨大国家は、様々な矛盾を抱えながら、いつの間にか、世界レベルでの話し合いに欠かせない“強国”に這い上がっている。旅をしたのはガンジー首相が国を盛り上げている時代で、数学やIT分野インド人がでその才能をキラめかせる前のことだ。
.jpg)
しかし、膨大な人口は今dにカースト制などと言う身分差月の残滓を引きずりながらも、かつての列強と並び立って怖じない。
かつて{インド人もびっくり」というカレーのコマーシャルがあった。今ではきっと顰蹙を買うが、当時は大ヒットしたものだった。
混雑した道路でクルマをゆっくり、ゆっくりと葉費知らせていると、人がぶつかってくる。文句もも何も言わない。
「どうしたんだ」と怪訝な顔を向ける人が何人かはいたが、大方は知らん顔だったのには驚いた。
上に掲載したカローラの前に立ち塞がる象と象使いの男。右手を挙げて怒って
いるように見えるが、違う。
「象に乗って行けよ。安くしとくぜ」
そんな調子だった。
クルマの旅をしているのに、象へ乗ってどこへ行くー、の心境だったが、象使いにとっては外国人と見れば誘いをかけるのが日常で、愛との旅の目的など、忖度する機など初めからありはしない。
.jpg)
聖なるガンジスに浸る、至上の幸福だという。右は川岸で荼毘にふす


映画・アラビアのロレンスが撮影されたヨルダンの砂漠
小説や映画でお馴染みの「アラビアのロレンス」にまつわるルートなどを中東の砂漠で辿ってみようと思った。サウジアラビアは1960年代、70年代の初めには、自由に旅することが難しかったので、ヨルダンかrシリア、レバノン、イスラエルなどを組み合わせての旅を考えた。中東はご存じのように第二次世界大戦後に、大混乱に陥り、ロレンス時代とはまた異なった難しさがあるようだった。

イスラエルがエジプトを攻めた電撃的な戦争は、僅か6日間で終わり、中東世界に君臨していたエジプ
トのナセル大統領の権威が一気に失墜した、劇的な戦いでもあった。ダヤン将軍率いるイスレル軍はエジプト、シリア、ヨルダンなどラブ世界の国々を圧倒。シナイ半島、ガザ地区、ゴラン平原などを占領し、その影響は現在にも尾を引いている。

アカバ湾まで移動はしたが、トルコへは交通手段の問題があって伊この時はいけなかった。ロレンスの時代と同じように、長い、長い鉄道は健在だったが‥。上の洒落た衣装の男は、ヨルダンのデザートポリス。砂漠地帯の警備が担当だ。



ヨルダンの観光地と言えば先ずはペトラでしょう。死海の南80㌔、死海とアカバ湾の間にある渓谷の岩壁に作られた街。1985年世界遺産に登録されたが、良くもこの狭い渓谷に大勢の人が住み、商売をしたものだと思う。盗賊の跋扈が当たり前だった古代の商業都市としては、自然の防御が街の人々を助けます。大雨が降れば鉄砲水が道路になっている隘路に押し寄せて人々は一段高い岩穴住居に引っ込み、徒党を組んで一度に大勢の馬やラクダに乗った軍勢が駆け巡るのは不可能です。立地受験としては西・ガザ、北・ダンスかす、南へ下れば紅海で、物流の中継地でもあったようです。

ペトラにはコロナ以前、世界各国から観光ツアーが押しかけ艇ました。日本の旅行会社も、当然ツアーを組んでいいましたが、めずらしい岩壁都市もコロナでストップ。2022年6月になってようやく日本人観光客も、外国へ出られるようになったのです。しかし、ロシアのプーチンが、いきなりウクライナへ軍隊を投入したのが022年2月。“プーチン戦争”が勃発し、ロシア、中国、それに北朝鮮が共産陣営。軍はロシアですg、後ろ盾は中国とも報じられています。駆け巡るニュースを見る限り、プーチンとしては何としてでもウクライナを分捕ろとしているようです。アメリカ、NATOの送りこむ武器で,ウクライナは善戦していますが、行く末は分かりません。世界の穀倉と言われるウクライナが、小麦を輸出できないことかr、アフリカ諸国の食料難が生じ、ロシアの石油を買わないというEUの動きもあって、世界中が不安定になっています。中東の観光が脚光を浴びるのはまだ時間がかかりそうです。


アサド政権下のシリアはロシア、北朝鮮などとの付き合いが深く、アラブゲリラの温床とも言われ、イスラエルとは犬猿の仲。2022年5月末に20年の刑を終えて出所した日本連合赤軍の最高幹部、重信房子もこの国などを根城にしていたとも言われる。活動時期には在シリアの日本人家庭を訪れて、食事、風呂などをつかっていたと言う話しも聞いた。邦人は断りたいが後難が恐ろしい。こうした様子を見た旅行社が、帰国してすぐに外務省に実情を知らせたが、全く無視されてしまったという。酷い話しだ。いずれにしてもここは政治や思想を語る場ではないので、出会ったことなどを拾っていこうと思う。
シリアは古代から交通の要所だった。現在の正式国名はシリア・アラブ共和国。シリアという名前は、アラブ世界では、胡の国そのものを表すと言うより、一般的にはこの国を含め周囲一帯の呼び名でもったと言われる。国境は5カ国と摂氏、さらに地中海共接している。挙げてみると▽北 トルコ ▽東 イラク ▽南 ヨルダン ▽西 レバノン ▽南西 イスラエル ▽北西 東地中海。これだけの国境を持つ国は希だろう。参考までに周辺を含めた地図を添付します。

これだけの国境を持つと、昔は重要な交易路の中継地だったのは当然。砂漠状の平原で歳を見下ろす丘に平氏の駐在する堅牢な建物があっても不思議ではない。アレッポの壮大な遺跡は、その昔、シリアが高い文化t強力な国家となっていたことを証明する。後に破壊されてしまうが、残された回廊の石柱や建築物の痕跡は、破壊されているとはいえ、見る者に感動ヲ与えずには置かない。


第3次中東戦争が劇的な結果で終わり、パレスチナの人々は多くの土地を失った。アルファタ率いるPLOはイスラエルと対峙しながら抵抗を続け、国土の回復を狙う。シリアもゴラン高原の帰属など問題を抱え、次第に過激なグループも生じて、中東全体が不安定な状況に置かれて現代へと続く。
政治、経済的に揺れ動く中東だが、ナイトライフはイスラムの世界でありながら、いや、イスラム世界だからこそ“アラビアンナイト”の妖艶な生き様も窺うことが出来るように思う。ダマスカスのナイトクラブでの踊り子を撮ったのがしたの写真だが、特別な入場制限などもなかった。


旅をしたのは1970年代で、もうずっと昔のことになるが、TVなどで中東が登場してくると、あまりに変わりのないことに驚く。モスクはその代表的な建物だが、一般の住居も、町並みも大きな変化はない。大変わりしているのはレバノンで、第二次池泉後には「中東の真珠」とか「小パリ」などと言われ、フランスのパリと似たような一角を持つ洒落た国家でもあった。しかし、今は見る影もない。それに比べると、シリアは前の時代の面影が“健在”とも言えそうだ。そして手強いアラブの抵抗、列強の干渉が強くなっても衰えは見せない。
▽巨大水車
直径20㍍もある巨大水車は、大小が組み合わされ、悠々と回っている。ハマの水車として知られる。今は実用と言うよりも、記念碑、観光資源としての役割を務めているのだろう。訪れた時には少年たちが水車に掴まって上昇。途中から飛び降りる危険な遊びに興じていた


|