![]() 順不同、思いつくままに掲載していきます。ここでは経由地などに拘らずに、好き勝手なレポートです。 1)ナイル源流のカバ 2)lion 3)ケープタウン展望 4)見ちゃった!Hanging 5)焼け鉄板の刑 6)オレが番する |
![]() クェイトからイラクへ入りメソポタミアの遺跡を見ようと走るウチに夜か迫った。国境越えで時間を食ったので、バスラ郊外の運河だろうか、靜かな川に沿った村で宿を取った。当時はゲリラ騒ぎも東西のいがみ合いも殆どなかったので、呑気な旅が出来た。 宿を決めてクルマを駐める段になったら、宿のオヤジがクルマを見ながら言った。 「ここへ駐めろ。ワシが見張ってやるから心配はいらない」 もちろんなにがしかのチップは払うことになるが、ケチるといけない。かといって払いすぎると、これも良くないようだ。アラブを一人でセールスに回っている日本人のセールスマンにあらかじめの金額も教えてもらっていた。 「それじゃ頼むよ」 「安心して休みなよ」 みたいなことを言った。安心するもしないも、ほかに方法はない。夕食(と言っても現地食)の後で入り口の所に駐めたクルマを見に行った。オヤジはどうしていたか?近少し離れた所へ簡易ベッドを据え、横になって大鼾。これでも警備していることになるんだ、と笑ってしまった。国家間のいがみ合いもなく、もちろん反政府だとか、部族、民族の独立運動も、ヨーロッパの列強が引きあげてそれほど時節も移っていなかったころだから、呑気なところがあった。良い時代に旅をしたものだと、今でも思う。 |
![]() 今のアラブ世界で、こういう見せしめの刑が,今でもあるかどうか定かではありません。我らが若い頃、盛んに旅をしていた時の話ですから1960~70年のことです。中東・アカバ湾からそう遠くない街での出来事でした。ババを乗せたタクシー・ドライバーが妙なことを言い出したのです。 「景色の良いところがあるので、そっちを回っていこうか」 宿まではもう遠くはないので、その必要は無い、と断ったのですが何度も誘う。狙いは明らか。これはいけない、と中華料理店が見えたので、クルマを止めさせ駆け込んだ。運の良いことに日本のセールスマンが3人、客としてテーブルに座っていた。事情を話した。すぐに二人が外へ飛び出し、クルマのナンバーをひかえて戻って来た。 「とんでもないやつだ。すぐに通報するよ」 被害に遭ったわけでもないので「大げさにしなくてもいい」、と伝えたが、警察に通報したようだった。戻って来て言った。 「今日の夕方は“焼け鉄板”だな」 何でも誘拐の罪になるという。外国人を相手にしたら、かなり厳しいと言う。どんなことをするのか-。 「たき火の上に鉄板を置く。熱した頃合いを見て、その上を歩かせるのさ。熱い鉄板の上を裸足で歩いて渡る。笑っちゃいけないが、タコ踊りみたいな格好で走って渡るのさ」 一人は見たことがあると言っていた。話としては可笑しいが、いささか残酷ではある.むち打ちの刑は、背中の皮が破れるほど強く打つ、と聞いたが、焼け鉄板の刑では、足の裏が焼けただれることだろう。 刑の執行される場所も聞いたが、見る気にはならなかった。 |
![]() ![]() 昔話なので許されるでしょう。1960年台でした。トルコを旅していたときのことです。大勢の人が広場へ向かっていました。丁度その街に泊まることになっていて、町中をぶらついていたのです。人が駆け足で向かっていきます。好奇心からついて行きました。 人のl輪が出来ていて、何があるのか人が多くて見にくいのです。そのとき前の方で声が上がりました。 「異教徒を前に出せ」 と言っているようでした。見渡したところ、田舎町のちょっとした広場にいる“異教徒”となると、若き日のワシ位いのものだった。案の定、周囲の人が「前へ出ろ」と言う。人垣が割れて手招きする人が何人もいる。皆楽しそうなので、それじゃ、と人をかき分けるようにわずかに通れる人垣を分けて前に出た。着飾った新郎新婦がいる。両親なのか親戚なのか年配の男女も綺麗な装束で居並ぶ。結婚式のセレモニーが始まるようだった。 数人が楽器を奏で、踊りが始まった。こういうときには、招待客のほかに“異教徒”は踊らないといけない。何でも良いから踊りの輪に入り、適当い手足を動かすしか方法はない。アラブ諸国、イスラムの人々は「結婚を異教徒まで祝福してくれた」となる。これは良い。ところが逆に、全くありがたくないこともある。処刑の場がそれ。 「異教徒に見られる辱めを受ける」 異教徒に見られることで、処刑を受ける人物はとんでもない辱めを受けることになるのだそうだ。その現場にも出くわした。確かイラクだったと記憶している。ホテルの前の広場で処刑があるとは聞いていた。見たくも無いのでカーテンを引いて寝た。夜のウチは何事もなかったようだが、明け方にざわつきがあった。 日が昇るまでうとうとしていたが、カーテンを開き、ベランダへ出ると、ちょっと先に、なんと人がぶら下がっている。ベランダへ出てみると幾つもの部屋のベランダには人が群がり、広場を見ている。もちろんそこには処刑された人がぶら下がっていた。その瞬間は見なかったが、早暁に決行されたようだった。祝福も辱めも、神の思し召し。異教徒を絡ませることで、その行為は増幅されるようだ。 駐在員に聞いたところ、彼は盗人が腕を切断される処刑を見たそうだ。やはり否応なく最前列へ引きだされたと言った |
![]() ![]() ケープタウンの北側に岩山がある。ケーブルカーが通じていて、一気に上れるが、クルマの通れる観光道路もあった。何分1972年の写真なので、2025年の今はケーブルカーも新しい藻が運行していると思う。山の上からはケープタウンの主要部分がそっくり見える。綺麗なUの字を描く海岸線もくっきりと見えた。 ![]() ケープタウンから西へ一走り。漁村がある(左).。遠くのテーブルマウンテンがケープタウンの裏山。ケーブルの通じている岩山だ。 右は喜望峰の先端。写真を撮った場所まではクルマで行けた。90年代にラリー(パリダカ)のゴールがケープタウンだったことが一度だけあるが、喜望峰の象徴的な岩山までは行けなかった。 街には既に観光客専用のショッピング、飲食街が出来ていて,地元民はシャットアウトだったと記憶している。当時はまだ植民地の名残があって、南ローデシア(今のチンバブエ)の入国審査は、白人、非白人の標示が有り、ゲートも審査窓口も別だった。 「おれたチャ、白人じゃないから非白人に並ぶのかな?」と非白人の列に並んでいたら、横にいた黒人のオッサンが「どこから来た?」と聞く。 「日本だよ」 「それなら列は違う。向こうだ」という。 日本人は当時「白人待遇」という奇妙な分け方で、列や入り口などは地元民とは別だった。 今はもうjそういうことはないようだが、商店でものを買うにも、白人は表に入り口が有り、非白人は裏だったり、色々とありましたよ。 |
![]() ![]() 東アフリカ旅行をした人なら、ほぼ全員がナイロビの動物保護区へは行っていると思う。1972年だったが、旅のl途中でナイロビで数日間過ごした。保護区へ出かけ、ガイドを頼んだら「そのlクルマで行こう。一緒に乗って案内するよ」という。 それじゃ,頼むか,でマークⅡに中山カメラマンとババ、それにガイドのオッサン。ワシが運転するので計4人が乗り込み、サバンナへと進んだ。クルマのタイヤ跡はかなりはっきりしているが、途中からガイドのオッサンは、脇道になるのだろう、タイヤ痕の殆ど無い所へ「ここを走れ。良い場所へ案内するよ」と指示する。なんだか怖いような気もしたが、オッサンは商売でやっているのだから、危険は避けるだろうと、言うとおりに走った。 「そこを回り込め」 藪を迂回するような跡が有り、ちょっと下って,その向こうは高くなっている。それではと、オッサンの言葉と手での指示に従って緩い下り斜面の藪を回り込んだ。 「ヤベー」 と言ったかどうか。瞬間、急ハンドルを切った。何とタイヤ痕にライオンの左足が乗っかっているのだ。デカい雌ライオンで(写真)、そのまま突っ込めば、脚を轢くか、体当たりだ。ライオンは澄まして腹ばいのlまま。慣れているのだろうし、腹も膨らんでいたのだろう。クルマの方は見もしないし、動きもしない。しかし,脚を轢かれたり、ぶつかられたらただでは済むまい。さすがにガイドのオッサンも驚いたようだ。強がりのポーズは明らかで、すぐに次の指示だ。 遠くに見えた一頭のアフリカ象を指さす。タイヤ痕は無い。 「真っ直ぐ。象に向かって走れ」 50㍍ほどに近づいたとき,耳をパタパタさせ、鼻を振り上げた。 「こりゃいけねー」 で止まり、ガイドを見るとなんだか慌てた口調で「下がれ、バック、,バック」だと。 後ろは藪だぜ。まっすぐバックなんぞできない。幸い短い草のサバンナなので所々の藪を除けば見通しは良い。少しバックして反転、。象から遠ざかったが、ガイドのオッサンはどうも、自家用車などを運転したことが無いようだった。それに象へ無防備に急接近しすぎただ。 まだ沢山、危ないと思うシーンはあったが、動物公園での運転は気が疲れる。そういえばローデシアの公園では象の群れに囲まれて,怖い目あった。この話は後述。 |
![]() ![]() ウガンダの白ナイルはナイル川の源流。とはいえ水量は多く、、カバやワニが群れを成して生息する。ことにカバは縄張り意識が強く、全長10㍍ほどの“観光船”に乗って、群れの付近に近づくと、巨大なカバが体当たりしてくる。 ”ドカン”と音がして,船は大きく揺れた。 最初は川底にでも接触したのかと思った。かなり草臥れている船だから、どうなることかと気になって,船頭らしき男を見た。平然としている。 「どうしたんだ。なにかにぶつかったのか」 「カバだ。ここへ来るなと言ってる」 「いつものことなのか」 「このあたりはカバの縄張りだ.ちょっとずれれば来ない」 一安心だが改めて船を見回すと、そう安心できる状態では無い。しかし”乗りかかった”と言うより”乗ってしまった”船だから,出発地点へ戻るまではどうにもlならない。おかげでカバのコロニーはたっぷり見物できた。ドデカい親カバ、小さい子供もいる。何となくおとなしく,のろまのようなカバだが、ワニと争うと大きな口でワニを食いちぎることもあるという。走る速さも時速40㌔ほどだと聞いた。 川から離れた水溜まりで遊んでいることもある。クルマの後ろに隠れて?医師をなげたてミス溜まりから出るのを見ようとしたことがある。知らなかったが無謀もいいところ。カバが怒ったらひとたまりもないと帰化された。 カバをバカにしてはいけない。 |