![]() ![]() イタリア・ピサの斜塔はあまりにも有名です。じじ、ばばとしては“旅のついで”にしろ、初めからの狙いにしろ、とにかく行ってみたい場所の一つではありました。この名所はありふれた塔では無く、3.97 度(一説には3.99度)の傾いて立ち続けているし、その傾きは故意に作ったものでもないからです。 作っていたら「傾いちゃった」と言うわけで、初めからこんな傾いて、危なっかしい塔など、誰も作らないのです。日本の技術者も1900年代の末には、傾きを止めるために協力していますが、基礎の部分が思いの外頑丈に固まっていて、当分の間、倒壊する恐れはないという事で、今後数十年間は今の傾きをキープし続けるし、観光客も制限はあるにしても受け入れる方針だという事です。 ここでは写真で斜塔などを見ていきます。 ![]() ![]() ![]() 斜塔は見事ですが、聖堂やその内部もなかなかです。 ピサはフィレンツェからそう遠くはありません。かつては海洋貿易で繁栄し、その勢いを誇示するように、ピサの有力者が建設したものです。今は世界遺産となっている「ピサの教会公園広場」には礼拝堂や洗礼を受けるための立派な建造物が有り、斜塔もそういう施設の一環として建設されました。工事の着工は1173年とされ、5年間は作り続けられましたが、南側に傾き始めたのに気づいたのです。そこで工事は中止され、100年間は放置されていました。 見物社経ちも ![]() しかし、100年もの間放置して、立ち入り禁止としていたのですが、倒壊する様子もありません。そこで、今度は官公吏用を狙って、工事は再開され、見物客も中へ入れる時期が続きましたが、1990年代に入って再び「斜塔は倒壊の危険があるのではないか」の意見が出て、細々と続いていた工補強事はストップ。その後、世界に募金や技術援助を呼びかけ、1990年代に入ってから近代的な調査を含めて、補強工事が始まり、2000年初頭まで続けられました。この工事には日本からも技術援助がされています。 塔が傾いた原因は南側の地盤がが柔らかく、塔の重量に耐えられずに沈み込み、傾いてしまったという事です。基礎工事が約3㍍と浅いので、南側の基礎の下に、さらに基礎を作る方法などが検討されたと言いますが、これも塔のバランスを崩しかねないと、廃案となり北側の地盤を強化して、塔の一方を押さえ込む方法が取られました。 工事は一応、終了となり、2001年の12月から観光客を受け入れるようになっています。団体は1グループ45人で、15分おきに塔内へ入る方式ですが、294段の階段を上り、15分で降りてくるのは年配者には大変で、実際は若者中心の企劃になっています。 ![]() 斜塔のある公園は頑丈な兵で囲まれ、アーチ型の門をくぐって入ります。ゲートの先方に聖堂や斜塔が見えます。教会は外敵からの防御に力を注いだことも読みとれますが、そうした説明はありません。しかし、ヨーロッパの都市の多くは、住居の集まった部分を囲い。都市国家を形成しているので、ピサもsのの一環なのかもしれません。 や斜塔が見えます。 ![]() “城壁”状の壁の外は、やにわのアフリカです。アフリカで作られた土産物が、山積みされるように並び、売られていますが、露店は公の物ではないようで、問題になっている移民にも絡む、面倒な問題が背後にあるようです。 ![]() ![]() ![]() ![]() と言う訳で斜塔見物の後はピサの街で夜を迎え、ピサでは無く”ピザ”のおいしいところを味わっいました。天候にも恵まれ、ゆっくり見て回る事もできました。 (なお、ピサの街の歴史や斜塔、教会に関する話や出来事はPCの検索で見ることができます) |
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