![]() ![]() オーストリアの首都ウィーンからチロルの山々を越えてイタリアのボルツァーノ、さらにスロベニアへと走った。ボルツァーノの考古学博物館には、アルプス山中で発見された5300年前のミイラ”アイスマン”が保管されている。スロベニアでは大きな鍾乳洞、洞窟内の城などを見て、再びウィーンへと戻った。変化に富んだ旅はこの周辺だけで1ヶ月。レンタカーの楽しいドライブでもあった。 ![]() ![]() ![]() 650年に渡るハプスブルグ家の遺産がウィーンを煌びやかに彩っている。音楽の都、芸術の都とも言われ、現在でも"住みやすいところ2として多くの人を引きつけている。ハプスブルグ家の教訓として、15世紀のマクシミリアン一世が残した言葉が教訓でもあり印象的だ。 「戦いは他の者にさせるが良い。汝、幸あるオーストリアよ。戦よりも結婚をせよ」 言葉通りの結婚政策で、第一次大戦前までオーストリアのハプスブルグ家と"親戚関係”になった国は多い。1918年、大戦の中で同家は崩壊した。最後の皇帝フランツ一世(1745~1765年)の皇妃マリア・テレージアの娘はフランスのルイ14世に嫁ぎ、フランス革命の渦中に皇帝とともに断頭台で命を絶たれた悲劇は広く知られている。 ![]() ウィーンの大聖堂 旧市街の中央にどっしりと構えるシュテファン大聖堂がある。12世紀半ばロマネスク様式の教会として着工され、14~16世紀に完成したが、様式はゴシックになった。同時に寺院のシンボルとなる尖塔も作られ、南塔の高さは137㍍。見晴台まで上れるが、石段のかずは343段になる。北塔は政治的な混乱もあり、南塔よりかなり低いが、上までエレベーターで上れる。寺院の屋根の模様、ウィーン市の紋章などを上から見ることが出来、観光客に喜ばれている。ウィーン市も見渡せる。 ![]() 南塔からは屋根の模様、塔、街並みが見渡せる ![]() ![]() ![]() ![]() ウィーン市の紋章 裏から見る大聖堂 ウィーンは中世ヨーロッパ、音楽の中心地でもあった。18世紀以降は王家や貴族の支援を受け、多くの音楽家が活躍した。ウィーン生まれのシューベルト、ザルツブルグ生まれのモーツアルト、ドイツ生まれのベートーベン、さらにハイドン、ブラームスなどもウィーンで活躍した。 ![]() ![]() モーツアルトの住んだアパート 音楽会の切符売り ![]() ![]() 国会議事堂 ドナウ川の遊覧船 ![]() ![]() 左・オペラ座、右は城内にあるオペラ座維持に協力したLexasの記念碑 ウィーンはパリ、ミラノと並ぶヨーロッパの三大オペラ劇場。維持には巨額な費用がかかるが、ガイドは「資金の多くをトヨタ・レクサスから受けている」と話していた。聞いていてちょっと誇らしい気分になった。音楽監督にはマーラー、カラヤンなどに並んで小澤征爾の名もある。 ![]() ![]() ![]() ![]() 劇場にはいくつもの小部屋があり、大ホールの他に個人的なパー^ティーの出来る部屋もある。 ![]() マーラーの像と持ち歩いたピアノが展示してあった ![]() ![]() 王宮 ハプスブルグ家が13世紀後半から1918年まで、ざっと600年の間、本拠としてきた王宮。18の棟があり増改築で複雑に入り組んだ王宮内には、2500以上の部屋があるという。 ![]() マリア・テレージアの像 ![]() ![]() マリア・テレージア像を挟んで自然史博物館(左)、美術史博物館がある 女帝、オーストリアの母などと呼ばれたマリア・テレージアは16人もの子供を産んでいるが、国政にも携わり強い永久力を持っていた。日本人にはいささか奇異に感じるのは、アウグスティーナ教会で、神聖ローマ帝国の帝冠や財宝徒ともに、ハプスブルク家の人々の心臓を安置していることだろう。 ![]() ![]() ![]() 市内の公園には著名な音楽家の像やモニュメントがある。左からモーツアルト、ヨハンシュトラウス、シューベルト ![]() ![]() 王宮に近いケーキ屋のデメール。伝統と洒落た店内が人気 ![]() ![]() ハプスブルグ家の離宮。王宮とともに世界文化遺産になっている。ウィーンで最も多くの観光客が訪れる。年間150万人に達すると聞く。1693年にレオポルド一世がシュ療養の別荘を作ったのが始まりで、歴代皇帝が改修を重ね、1743年にマリア・テレージアが大改造を命じ、今の壮大な宮殿となった。王宮の部屋は1441あり、広い庭園は歩いて回るのが大変なので、馬車や汽車をかたどって連結小型車両で周回できるようになっている。 末娘のマリー・アントワネットはここで育ち、フランスのルイ14世に嫁いでいる。6歳だったモーツアルトが庫の宮殿で演奏会を開いたときに、7歳だったマリー・アントワネットに結婚を申し込んだという話しが残されている。ハプスブルグ家最後の皇帝、カール一世は1918年この宮殿で大尉文書に署名。翌日宮殿はオーストリア共和国の所有となった。 ![]() ![]() ![]() 宮殿内にはいくつもの広大な庭園がある ![]() この建物の45室はガイド付きで公開されている。絵画や漆器の展示の他皇帝の執務室もある。見落としてしまったが、クルマの走行に大きく影響するサスペンションの原型などの展示は、自動車好きは必見だと聞いた。 ![]() ![]() 宮殿内を巡る |