トロイの木馬本当に木馬があって大魂消

トロイへ向かって走行中、まさか、まさかの冗談を言っていた。
「トロイに木で作った木馬があったりして‥」
「そこまではやらないでしょう。幾ら観光地になっていると言ったって‥」
それが本当に木造の木馬があって、コリャ参った、でした




かつてまだトルコという国がなかった昔はこの沿岸はほとんどがギリシャの植民であ

った。そしてアレキサンドロス王の死後からはじまったヘレニズム時代に、アクロポ

リスが次々に建設されたが、ギリシャにポリスが誕生する以前にもミケーネ(ミノア

文明、前16~12世紀)時代に興ったトロイア戦争の舞台であったこともある。これか

ら訪ねるベルガマはアレクサンドロス王の財宝を継ぎ、ベルガモン王国を築たその

王国の都の跡であり、また「トロイの木馬」で知られるトロイは紀元前3000年ごろか

ら前350年ごろまでの遺跡が9層にも積み重なって広がっている。時代は異なるが

繁栄と衰退の都市跡を中心に写真でにまとめました。




<コース>
クシャダシ(Kusadasi)-イズミール(Izmir)-チェシメ(Cesme)-ベルガマ(Bergama)-トロイ(Truva)

-チャッカレ(Canakkale)-イスタンブール(Istanbul)
全行程 約1,000km、4泊5日



<ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください> 

 

 


●チェシメ(Cesme)

トルコ第三の都市イズミール

を素通りし、ギリシャのヒオス(Hios)島を目の前に望む小さな港町へ来た。イズミールより西、約100km。同じエーゲ海に面したイズミールだが、大型船が停泊するため、一般には海水浴には適さない。したがってチェシメ周辺はイズミールの人たちばかりか、ヨーロッパなどから訪れる観光客で賑わう。とくにこのあたりには温泉地としても有名だ。取材者は温泉と聞いて、迷わずハンドルを向けた。

 


イズミールへの標識


チェスメの町の魚屋

 

高速道路と平行して走る国道300号線を海岸沿いに走り、その道の終ったところに小さな入江に囲まれたチェシメ
の港があった。この港からギリシャの島や遠くイタリアのブリンディシ(Brindisi)へと発着する船があるという。古代ローマとギリシャを結んだ航路は、エーゲ海をはさんでトルコへも往来していたのだろう。チェシメ港より10kmほど手前のウルジャ(Ilrca)の美しい砂浜のビーチ沿い付近にある温泉が湧く地域には、スパ、泥風呂、トルコ式風呂、プールなどを備えたホテルがある。だが、温泉は冷泉で日本人が連想するホットスプリングではない。

 


チェシメの港。すぐ先はギリシャのヒオス島


●ベルガマ(Bergama)

 再び大都市イズミールをパスし、E87号線を北上、ベルガマへ。30年にも及ぶペロポネソス戦争でスパルタに負けたアテネは衰退をたどるとマケドニアの王アレキサンドロスが台頭、その王が倒れるとマケドニア、エジプト、シリアの三国に分裂したが、その大王の遺産を手にしたリシマコスによって、新王朝ベルガモンが誕生。その王国の都はローマとともにシリアと戦い、小アジアにおける交易権を獲得、後にローマの属州になったが、典型的なヘレニズム都市として繁栄が続いた。

 やがてアラブの攻撃を受けて崩壊。19世紀に入って神殿などをドイツに持ち去られてしまった。ベルガマ市街から山の上のアクロポリスまでは徒歩では2時間。もちろんクルマは通れるが、すれ違いに困難なところもある狭い急な道だ。ポリス下には駐車場もある。最初に目につくのは、王宮跡に造営されたトラヤヌス神殿の白い大理石の石柱だ。ローマ皇帝ハドリアヌスが、先の皇帝トラヤヌスに捧げたものでコリント様式の15本の石柱を残す。

 


神殿は一部修復されている
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)


神殿を飾る刻像

 


大劇場は急な山の斜面を一気に削いだような形で、古代の数ある劇場の中でも一番傾斜の急な観客席という。山の下を流れるベルガマ川をはさんでスタジアム、小劇場、古代の総合ヘルスセンター、アスクレピオン(Asklepion)跡や現在の街が見おろせる。観客席の上段に立つと足がすくみそうだ。ちょっと足を滑らせたら、舞台まで真っ逆さまに落ちていきそうで怖いほどだ。急斜面だけに音響効果は抜群だったそうだ。

 


数ある遺跡の中で最も急な観客席の劇場


山上から劇場・観客席へのトンネル

 




アスクレピオンは紀元4世紀から800年ほど使われた古代の総合医療センターだ。聖なる泉で体を清め、診療所まであった。ここには医学書などをはじめ20万冊ももの蔵書を集めた図書館もあり、伝えられるところによると、この図書館に脅威を感じたエジプトがパピルスの輸出を禁じたたという。そのため困った時の王エウメネスは、紙に代わる羊皮紙を発明したと言われている。そのほかベルガマにはゼウス大祭壇やいくつかの神殿があったが、価値ある多くの建築物や美術品はドイツによって運び去られ、現在はベルリンの博物館にある。

 


山上の遺跡からベルガマの街


家路(ベルガマ)


トロイ(Truva)

ベルガマからさらに北西へ約200km。トロイ

はトルコの数ある歴史遺産の中でも最も古い時代に文化や芸術などの最盛期を迎え、ローマ時代まで2500年以上もの間、都市や王国の興亡を繰り返し、それぞれの時代の跡が9層にもなって残る。紀元前800年ごろ書かれたというホメロスの叙事詩『イーリアス』(ギリシャ最古最大の英雄叙事詩)の中にある「トロイの木馬」の伝説を信じたドイツ人のシュリーマンが1871~73年に、トロイの場所を発見し、遺跡調査がされた。

 


トロイの城壁。畑のあたりは昔、海だった


遺跡は積み重なっている

 


海から城内へ続く石畳の坂道


トロイ城内に残る石畳の道

 

トロイはトルコ語ではトゥルワ。『イーリアス』ではトロイの王子パリスがスパルタの王メネラオスの妃である絶世の美女ヘレネを奪ったことから10年にも及ぶトロイ戦争がはじまったとされている。ヘレネの夫はミケーネ王アガメムノンの弟、兄アガメムノンを大将にギリシャ軍を組みトロイへの攻撃を開始。だが、どうしてもトロイを陥落させることができない。そこで英雄オデゥッセウスが妙案を出して活躍。ギリシャ軍は戦いを諦めたようにみせ、巨大な木馬を神に捧げるような形でトロイの城宇外に置き、船で全員が引き揚げたように見せかけた。戦いが終わったと思ったトロイ側は木馬を城内に入れ、勝利の旨酒に酔っていた。木馬の中に沢山のギリシャ兵が隠れていたため、トロイはたちどころに陥落したという。