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阿武隈川と相馬野馬追のふるさと

北国の遅い春も過ぎ、新緑の季節が駆け足でやってくる。仙台の「楽天」球場を見学、そこから南の阿武隈川の舟下りを楽しみながら相馬へと向かった。
相馬は7月には国指定重要無形民俗文化財である「相馬野馬追」で賑わうが、取材時はまだ桜まつりの最中だった。
また松川浦は8月末まで潮干狩りができる遠浅の干潟が広がり、海苔の養殖場としても名高い。潟湖の外は太平洋の高い波、サーファーが腕を競う。松並木と青い海の中を走る風光明媚な浜は日本の渚100にも選ばれた。
夏のシーズン前のいま潟湖一周ドライブは爽快だ。

<コース>
仙台-(国道4号線)-角田-(国道113号線)-相馬-松川浦-(県道38号線)-仙台
全行程 約200km

<ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください>
●仙台から
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仙台本町のレンタカー営業所から東へ、今年話題の野球チーム「楽天」の本拠地である宮城球場を見ながら国道4号線を南下。柴田と大河原町の中央を流れる阿武隈川の支流白石川沿いに咲く「一目千本桜」を訪ねた。
「街路樹100選」「桜の名所100選」という白石川の堤には約8kmに及ぶソメイヨシノが植えられ、晴れた日は青い空と残雪の蔵王連峰と桜の絵のような風景と色彩のコントラストが楽しめる。
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スタートは仙台本町営業所
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途絶えることなく続く桜並木を一目で千本も一度に見ることができることから「一目千本桜」というのだそうだ。今年の春は遅くまだ5分咲き。例年ならば、もう葉桜の季節というのだが、まだ肌寒かった。
近くには自衛隊の駐屯地があり、広い敷地は桜まつりが行われていた。自衛隊の敷地内に一般の花見客を招き入れてくれるだけでも珍しいことだと思っていたら、「戦車試乗会」まで行われていた。
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自衛隊の基地も花見に開放され、
戦車の試乗会もあった
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岩沼の海岸
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●阿武隈ライン
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大河の渓流、阿武隈川は、古くから物資輸送路として利用されてきたが、いまはその名残を現在に伝えようと、はじまったのが舟下りだ。
ゆったり流れる大河の川面に映る初夏の新緑、夏の緑濃い山々、秋の紅葉、そして冬の雪景色と四季を通して舟下りが楽しめる。とくに秋の“いも煮舟”や冬の“こたつ舟”はユニークだ。いも煮の鍋を囲みながら、またこたつで熱燗を飲みながら川の流れに身をまかす。ちょっとおつな舟旅も人気があると、船頭さんの話。
舟下りは上って下るコースと下るだけの片道コースの2コースがある。所要時間はどちらも1時間。
/料金 11km片道コース2,000円、8km往復コース1,600円
問い合わせ 阿武隈ライン保勝会 TEL 0224-72-2350
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阿武隈ラインはのんびりした舟の旅
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阿武隈川の船着き場
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●齊理屋敷
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丸森町の斎理屋敷
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)
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阿武隈ライン乗船所から車で5分ほどのところにある。いまから150年ほど前、嘉永元年から呉服商を営んでいた豪商・齊理家の建物と蔵だ。昭和62年(1987)7代目当主が亡くなる1年前、跡継ぎがなかったため、店構えから家屋敷、蔵まで10にも及ぶ建物とその中身ごとすべてを丸森町に寄贈。
お金の使いようもないほどだったと云われた代々の当主たちが屋敷や蔵を増やし、江戸後期から明治、大正時代の洋風建築まで広い敷地内にある。
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そこには日常使われていた物から、陶磁器、漆器類、実物大の五月節句用の鎧やおもちゃまで当時の貴重なさまざまな品が展示されている。なかでも実際に使われていたという18金の急須はこの商家の豊かさを物語っている。
/入館料 600円、TEL 0224-72-6636
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斎理屋敷の五月人形は本物(右)と
本物そっくりの飾り鎧
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豪商・斎理には18金・家紋入りの急須もある
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●松川浦
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国道113号線を福島県相馬方面へ向かう。福島県一の海水浴場である原釜町へと出た。広い砂浜を眺める町の公園では、ちょうど春の祭りの最中で昔懐かしい、“おかめひょっとこ”の面をかぶった若者のひょうきんな踊りや、剣を使った舞が演じられていた。
松川浦は砂州で取り囲まれた潟湖で、周囲約15kmもあるが海水の出入り口は、北側の全長520mの松川浦大橋下だけ。湖の中には中州や小さな島があり、島の奇怪な岩が一層のどかな光景を作り出していた。
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松川浦は青海苔の養殖所とともに8月いっぱい潮干狩りが楽しめる。近海ではカレイ、ヒラメなどが捕れる。また北海道から相馬にかけてとれるホッキ貝も松川浦磯部港に水揚げされ、これからがシーズンだ。松川浦大橋近くには漁協の水産物直販センターがあって、新鮮な魚介類を、なかなか良心的な価格で販売していた。
/TEL 0244-38-8956
いま松川浦は県立自然公園となっているが古くは相馬中村藩にとってリゾート地だった。
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相馬原釜漁協の市場
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原釜漁港から見る松川浦大橋
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松川浦でとれる青海苔の乾燥
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原釜漁港。底引き網漁船が
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原釜の焼き魚
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穏やかな潟湖と太平洋の荒波を隔てる約5kmの長洲海岸は防砂の松と砂浜で、「日本の渚100選」に選定されている快適なドライブウェイでもある。
ここには「海浜自然の家」があり全国の学校や社会教育、高齢者、障害者などさまざまな団体に開放している。宿泊費はシーツのクリーニング代140円の他、食事代のみ。
/要予約 TEL 0244-33-5224
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松川浦の砂防林。約5㌔の直線道路がある
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松川浦を巡る道路は快適(鵜の尾岬)
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●相馬中村城跡周辺
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江戸時代の初期にあたる1611年、6万石の小藩であった相馬は隣にある10倍にも及ぶ大藩の伊達家に備え、この地に城を築城した。常に伊達藩の脅威にさらされながら、武力でかなわねことを、学問から礼儀作法にいたるきめ細かな精神的躾と緊張感を持ち、武士道精神を磨いた。
一方、武具の充実と武術にも力を入れた。「相馬野馬追」はその武術の鍛錬の一つで、相馬氏の始祖にあたる下総国葛飾郡小金ヶ原に馬を放ち、年に数度、八カ国の兵を集め甲冑をつけて野馬を敵とみたてて馬術や駆け引きといった訓練をした。後の相馬氏は幕府の厳しい監視の目をのがれるため「野馬追」を行事とし、武術の訓練を図る場としてきた。
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出陣式(写真提供:原町市商工観光課)
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騎馬武者の行列(写真提供:原町市商工観光課)
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神旗争奪戦(写真提供:原町市商工観光課)
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甲冑競馬。旗指物、甲冑が戦国時代を偲ばせる
(写真提供:原町市商工観光課)
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そして今年もまた7月23~25日の3日間、国指定重要無形民俗文化財でもある勇壮で絢爛な戦国絵巻が繰り広げられる。
「相馬野馬追」は相馬市、原町市、鹿島町、小高町の4ヶ所が合同で行い、ハイライトは原町市で行われる騎馬武者による神旗争奪や甲冑競馬。
/問い合わせ
相馬市観光協会 TEL 0244-36-3171
原町市観光協会 TEL 0244-22-3064
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●相馬中村神社
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相馬神社
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寛永20年(1643)相馬18代藩主義胤によって建立され、相馬代々の氏神として祀られてきた。総素木造りで国の重要文化財に指定されている。
鳥居の手前には馬を祀る社もあり、また中村神社の90段ほどの石段両側手すりの柱にはコンクリートつくりの馬の首がのせられていた。拝殿の隣には古い厩があった。境内では地元保存会のひとたちの「雅楽」が演奏されていた。
「相馬野馬追」相馬妙見三社で出陣式が行われるが、なかでも中村神社は総大将出陣の厳かな儀式が行われるところだ。
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馬の像は相馬中村神社のシンボル
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中村神社では雅楽が奏じられていた
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中村城跡はいまは馬陵公園となり、復元された大手門と城内への赤橋がある。そして園内には二宮尊徳を偲んでの墓地や銅像がある。不思議に思ってたずねたら、「天明・天保の大飢饉の折、尊徳の報徳精神によって学び救われた」ということから敬意の念をもって二宮尊徳をあがめたからだという。桜をはじめ季節の花々が植えられていた園は、一大イベント「相馬野馬追」の夏には人々であふれるだろう。
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●たちばな甲冑工房
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相馬市の中心部、中村城二の丸近くに「相馬野馬追」の騎馬武者の命ともいえる甲冑の伝統を守る甲冑作りをしている人がいる。東京に3人、東北に一人という甲冑師のなかのひとりである橘斌氏だ。
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作業場は長い歴史を持つ美術工芸品を制作しているとは思えない現代風だが、一歩中へ入ると、そこには鎧、兜などがところ狭しと並べられている。
時代によって異なる甲冑を、依頼者の希望ですべてを手作りで作るという。甲冑をはじめ多くの武具は、それぞれの武将の美学があり、戦いの実用というだけでなく細部に至るまで美を追究したというこだわりは芸術品だ。甲冑の重量は約20kg、馬上で戦う武将も大変だが、鞍上に甲冑武士を乗せる馬の強さにも驚かさせられる。
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たちばな甲冑工房内は完成、
未完成、実物などとりどりの鎧
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●相馬駒焼
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JR相馬駅からほど近いところに、相馬駒焼・田代窯というものがある。寛永6年(1626)開窯されたといわれる古窯だ。明治維新までは一般には禁制品だったとか。そのほか庶民的な相馬焼がある。駒焼同様モチーフは“馬”だった。
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相馬駅。民家風に作られていた
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相馬焼。絵は馬が多い
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