

今回は2002年冬のパリで、ナポレオンの全盛時代とその没後に残した足跡や建造物を訪ねてみた。
世界の観光都市パリで思い浮かぶのが凱旋門とそこからコンコルド広場へと延びるシャンゼリーゼ通り。片道4車線、往復8車線の大通りを挟んで、カフェやレストラン、高級ブランド店が並ぶここは憧れのパリのイメージそのものだ。
ナポレオンが凱旋を夢みた栄光の門「凱旋門」は彼の記念建造物の代表的存在だ。実際に完成するまでには彼の死後、ルイ・フィリップ王が引継ぎ30年の歳月を要したが、設計、着工はナポレオンである。

フランス皇帝、ナポレオンがライプツィッヒの戦いで敗れ(1813年10月16日)、パリ南部のフォンテンブローに逃れてパリは陥落。ロシア軍、プロシヤ軍が進駐した。しかし、余力のを残していたナポレオン軍の兵士は「パリへ!」と声を挙げたが、フランスの政治家たちは手のひら返しでナポレオンを退位に追いやり、エルバ島に流した。しかし、ブルボン家の復活で貴族政治が生き返り、貴族たちが戻ってきた。フランス革命は台無しになり、失業した兵士や庶民は絶望した。ナポレオンはこの機を捕らえ、エルバ島からカンヌに近い海岸へと上陸。パリへと進軍し“百日天下”ではあったが、復権・凱旋となった。
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