Paris〜Dakar    
           サハラ砂漠に夢を載せて     
 
                Part 1     Part 2      Part 3   

 追悼   篠塚建次郎さん
2024年3月

 変わりゆくパリダカ  

 1978年から開催された来たParisーDakar Rallyは、2008年にアルカイーダ系ゲリラ組織の襲撃予告で中止になり、一つの時代の終焉を迎えました。パリダカは夢のある世界でした。サハラ砂漠を地図や、怪しげなロードブック、磁石を頼りに目的地へと走るのは大変でした。

 多くの参加者が砂丘の中に集まり、情報を交換し、誰かが走り出すとその方向に、みんなが向かい、間もなくその方向が正しくないことなどもありました。砂漠を越えるのは広大な砂漠のない国に住む人々にとって、冒険的で胸を躍らせるものでもありました。
 ワークス参戦で次第に胸を躍らせるサハラ砂漠は、競い合いの場と化し自動車メーカーの怪物のような車が疾走するようになりました。

 丸腰のパリダカの一隊は初めは強盗団が恐る恐る襲撃しましたが、次第にそれはエスカレートし、通行料を要求するゲリラ集団へと変わりました。サハラ一帯の国々の政情不安も大きな原因です。そして、2008年、モーリタニアのゲリラ、元は弱々しい反政府軍が、アルカイーダの傘下に入ったことで、残忍性を増し、強盗は殺人集団、人質を取り金銭を要求する神をも侮辱するような集団に変貌したのです。

 主催者はラリー・フィールドを南米に移しました。Dakarの名は残っていても、もうパリダカではありません。ジジが大好きな、ついて回ったパリダカは終焉を迎えました。これまでの想い出やエピソードを、ここに残しておこうと思います。読みたい方は、ゆっくり年にアルカイーダ系ゲリラ組織の襲撃予告で中止になり、一つの時代の終焉を迎えました。パリダカは夢のある世界でした。サハラ砂漠を地図や、怪しげなロードブック、磁石を頼りに目的地へと走るのは大変でした。

 掲載した地図は1984年のものです。アルジェから南下し,ニジェールのテネレ砂漠を東へ。再びテネレを西にたどり、マリ、ナイジェリア、アフリカ西海岸を経由して、いったん内陸へ入り、ダカールに至る壮大なものでした。アフリカの政治情勢の変化にともない、次第にラリーは西海岸へと追いやられ、モロッコ経由などルート選定に苦労しました。そしてついにアフリカ大陸での開催を断念したのです。