北限の地  海・山・花を追う




礼文島から道内各地

【北海道各サイトへのリンク】

①礼文島、利l尻島、サロベツ
 ②サロベツ天売焼尻  ③積丹の海  ④江差、松前  ⑤道南の旅(函

館など)
⑥道南の旅(支笏、洞爺湖など) ⑦十勝、陸別など 十勝糠平 ⑨襟裳岬、十勝川河口 

 ⑩留萌~稚内  ⑪富良野、美瑛-1  ⑫富良野-2  ⑬層雲峡,網走、知床1  

⑭層雲峡、網走、知床2 ⑮道北の秋1(枝幸など) ⑯道北の秋2(オホーツク) 

⑰道北の秋(日本海側 ⑱日高、浦河、襟裳岬  ⑱奥尻島

 日本列島を北から南まで、47都道府県はもちろん、名所・旧跡、さらには気の向くまま、思いつくままの、旅のレポートです。源義経の生みの母は、片田舎の漁村。しかも、海を目の前にした崖の上だったり、石川五右衛門が“釜茹で”になったときには、五右衛門の小さい息子も一緒に茹でられた、などと言う話しも付随して語られていたりします。

 「鬼が一晩で作った」という男鹿半島のお宮の石段は、多くの人が歩いたせいでしょうか、半分以上は石がずれて、坂のようになっていました。沖縄では言い伝えですが、昔、大津波が来て珊瑚をだめにしてしまったのですが、数年で立派に生え替わったと言うことも聞きました。

 「温暖化の影響でダメになる」との話しも聞きましが「何、白く変色して枯れたように見えても、何年かたてば生えてくるよ」と地元の年寄りの楽観論もありました。

このページ左上のモニュメントは第二次大戦で日本が無条件降伏した後に、ソ連は突如、北方領土、樺太へと攻め込みました。不可侵条約など全く無視で、ウクライナへ攻め込んだ2022年2月からの暴挙“プーチン戦争”よりも酷い話です。樺太の電話局の交換業務をやていた日本人女性局員はソ連軍の暴挙を予測。局への乱入を知って集団自決を図ります。最後の言葉が碑に刻まれています。

「皆さん これが最後です さようなら さようならー。」

この言葉を最後に通信は途絶えました。無防備の引き揚げ船も民間人共々、ソ連軍は魚雷で沈めました。降伏文書が交わされ、戦争が終わった後の暴挙です。


旅と出来事の記事は、常に入れ替わり、消して仕舞って行方不明が沢山あります。今回はざっと300本くらいのうちから、それこそ気の向くままに拾い出し、掲載していきます。